幼稚な体罰論にすがる人間の行末と救い

「理想を叶えてくれたリリーサと
 僕を否定するオマエたち
 どちらを信じると思う!?
 おまえたちなんか、
 僕に何一つしてくれないくせに!」
「他人は自分に何かをしてくれるための存在じゃない」

ぱすてるチャイム3プレイ中。
まだ途中だけど、劇中で極めて幼稚な体罰論と、その行き着く先が戯画的に表現されていて面白い。


この作品は学園が舞台だが、
その中にレイという青年がいる。
レイはもともと理想主義者であった。
彼は理想の学園を実現するため、自ら進んで生徒会長の職につき、精力的に生徒の指導などを行った。
しかし彼は自らの正しさを疑わず、一方的な押し付けがいきすぎた。結果として反発を招き、その試みは頓挫する。自らも不良に暴力を受けて心が折れてしまう。
自らの正義の無力さを自覚し、己の正義が暴力に勝てない世の不条理を呪って過ごしていた。


この時彼の頭にあったのは、もはや
学校生活を良くしたいという本来の正義ではなく
ただ自らが一度屈した「悪」への憎しみだけであった。



そんな時、彼は見知らぬ人間から力を託される。
力を手に入れた彼は、正義と称して
「悪」を制裁することに血道を上げるようになるが


。。。という展開。まぁアレです。デスノートの魅上です。自らを正義と信じてレベルの低い人間相手には制裁や体罰が容認されるべきとか言っちゃう馬鹿な人の戯画化です。

実にありきたりな展開になるので、「真女神転生if」でも「最終少年アライブ」でもなんでもいいですが、まぁ思い当たる結末を想定していただければ大体あたってます。


で、このレイさんの問題点。

① 自分に従わない人間を自分で悪認定
  この認定に正統性があると思っている。
  この認定基準に問題があることは想定しない。
  なぜなら自分は正しくて間違うはずがないから

② 悪認定した人間を自らが制裁する
  この制裁手段についても迷いがない。
  なぜなら相手は悪だから。
  ①がOKでも悪なら何してもいいのか、とか考えない。

③ 自分が手に入れた力の素性について疑わない
  自ら努力して手に入れた力でもないのに
  自分ならそれが適切に運営できて
  いざというときでも制御できると思っている。

結果として、この前提は
全て誤りであることが作中で示される。


特に③が大問題で、自らを鍛えて手に入れた力ならまだしも、他人から手渡された強大な力を、制御できるわけないんだよね。さらにいえば、他人は何の得もなしに自らに力を与えてくれたりしない。相手の目的や見返りを考えずに、一時的に預けられた力に舞い上がっていたら、その力に取り込まれたり、その力が暴走し、自らも再起不能になるのは当然の帰結



まぁこの作品のレイ君には完膚なきまでの挫折の代わりに、救いというか蜘蛛の糸的な展開も残されていてそのあたりちょっとおもしろかった。



幼稚な体罰論唱えてる人は、ごくごく初歩的な問題すらクリアできていないということを肝に銘じて、もう一度最初から考えなおしたほうが良いと思います。