N響事件の際、小澤征爾について三島由紀夫が著した文

2日ほど前からこういうツイートがRTで流通しているのを目にする。

日本には妙な悪習慣がある。『何を青二才が』という青年蔑視と、
もう一つは『若さが最高無上の価値だ』というそのアンチテーゼ(反対命題)とである。

これだけだと書き手の主張がよくわからないのでぐぐってみたら
これはN響事件に関して三島由紀夫小澤征爾について書いた文なのだそうです




さすが三島由紀夫というべきか、続く文章も格好いいので紹介しておきます。
というか、冒頭の引用だけだと、別の意味で解釈する人いそうな気が・・・

日本には妙な悪習慣がある。『何を青二才が』という青年蔑視と、もう一つは『若さが最高無上の価値だ』というそのアンチテーゼ(反対命題)とである。私はそのどちらにも与しない。小澤征爾は何も若いから偉いのではなく、いい音楽家だから偉いのである。もちろん彼も成熟しなくてはならない。今度の事件で、彼は論理を武器に戦ったのだが、これはあくまで正しい戦いであっても、日本のよさもわるさも、無論理の特徴にあって、論理は孤独に陥るのが日本人の運命である
(中略)
「私は彼を放逐したNHK楽団員の一人一人の胸にも、純粋な音楽への夢と理想が巣食っているだろうことを信じる。人間は、こじゅうと根性だけでは生きられぬ。日本的しがらみの中でかつ生きつつ、西洋音楽へ夢を寄せてきた人々の、その夢が多少まちがっていても、小澤氏もまた、彼らの夢に雅量を持ち、この音楽という世界共通の言語にたずさわりながら、人の心という最も通じにくいものにも精通する、真の達人となる日を、私は祈っている

詳しくはこちらどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%BE%A4%E5%BE%81%E7%88%BE



結構興味深いです。N響事件は知っていましたが、
小澤征爾側の言い分しか聞いたことがなくてそのまんま信じてました。
こういう論争があったことは知らなんだ

アメリカで育ったような小澤の音楽と、ローゼンストック以来のウィーン楽派とシュヒターのベルリン・フィル的な訓練に慣れたN響の音楽観のちがいが、紛争の原因だという見解が当時、支配的だった。楽団員は若い指揮者をそねんでいるとか、もっとおおらかでなければならない、などという意見もつよかった。しかし、ほんとうの原因はそんな立派なことではなかった。遅刻や勉強不足という、若い小澤の甘えと、それをおおらかにみようとしない楽団員、若い指揮者を育てようとしなかった事務局の不幸な相乗作用だった

オーケストラの人びと (ちくまプリマーブックス)


三島由紀夫はとかく読んでて気分が高まる文章を書きますね。
もっと読みたいという人はこちらもどうぞ。

http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3196861.html
http://blogs.yahoo.co.jp/bones_the_moon/49909600.html