いじめ親和性が高そうな行動や特徴

誰でもいじめっ子になりうる。絶対的にいじめっ子にならない人間などいない。

そもそも、多くの人がいじめっ子にならない理由は「場の秩序が維持されていていじめをやるスキがなかったから」「きっかけが無かったから」「主導者になれるようなコミュ力と人望が無かったから」などの相対的な理由にすぎない気がする。

通常状態では善良な性質を持つ人間でも、簡単にいじめの加害者になりうる。人によっては、きっかけと権力があれば喜んでいじめに参加し、あるいは自らが率先していじめを行い、あまつさえそのことを正義だと思ったり、ブログやmixiで自慢げに話してそのことで人気を得ようとする。 

ベタだけど、一人の人間に粘着するというアレげなブログをやってるわけだし、私は「自分はいじめをやる人間ではない。私は善良だからいじめとは無縁だ」などとはとても言えない。「自分の中にあるかもしれないいじめっ子的要素」には十分気をつけたい





1:過剰にキレイゴトをいい、それを受け入れない奴を悪者扱いする傾向がある




1:必要以上に人を分類して、さらにその分類に優劣を付けたがる傾向がある。分類は主観的かつ自己中心的なものであり、気に入らないものを劣等とみなしがち。「自分にとって」劣ったもの=嫌いなものを周囲から排除したがる (この記事のように「いじめにつながる要素」などをピックアップして「悪い人間」を燻り出そうとする趣味の悪い思考もよくない)




1:エネルギー(精力)は人一倍あるが、それを建設的な昇華できず、くすぶっている。自慰的な行為を繰り返すがそれでも癒しきれないものがあり、いらだちが募っている。




1:人にレッテルを貼って、そのレッテルだけで人を切り捨てる傾向がある。他人を一個の人格として尊重したり、逆に一人の人間として尊重された経験が少ないため、対等な人間関係というのが苦手。




1:人間の序列を強く意識しすぎる。格上の人間の価値観を積極的に取り入れたり、好意的に解釈する一方で、格下とみなした相手を意図的に低く扱ったり、存在しないかのように扱う




1:2ちゃんまとめブログなどの煽りタイトルだけみて思い込みで人を攻撃したりする。はてブ民などにはみなこの要素があると思うが、とくによく知らないことについてドヤ顔で長文の記事を書いたりする場合はヤバイかもしれない。よく知らないことについて、深く考えずに自分の思い込みで人を叩くのにためらいがない。




1:元いじめられっ子である。虐待と同じで、復讐の意思は残り続けているが、それがいじめた本人に向かわない。いじめた本人に直接復讐するリスクを避けて、自分より弱い存在に自分の怒りをぶつけたりする。




1:元いじめられっ子である2。不幸にしていじめられる=弱い人間であるといういじめっ子側の規範を内面化してしまうケースもあり、その場合「いじめられなくなってからもいじめられていた弱い自分」を連想させるものを嫌悪し、排除しようとする



1:周囲の目を強く気にする。「孤独な群衆」における「伝統指向型」→「内部指向型」→「他人指向型」のうち「他人指向型」。社会通念でも自分の信念より周りの評価が絶対的になってしまう。自分の価値を自分の指標ではなくはてブなどで語るようになると危険
http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~hori/yomimono/riesman.html




1:他人との距離感が非常に近く他人の言葉に過敏に反応する。また自分との違いについて許容値が低い。自分に向けられたメッセージでなくても自分が不快な思いをしたらいちゃもんをつけて良いというチンピラ的性質を持っている。



1:気に入らないものを潰したことを自慢したり、潰してやろうかなどという発言を平気でするようになる。会社に入ってから面接や嫌がらせで人をやめさせたのを自分の手柄として語っているような人間は危険。自分で善悪の判断ができなくなっている危険がある。




1:いじめの原因を探る段階ではなく正否を論じる段階でも「いじめが絶対的に悪い」という前提で話ができない。「逃げる努力をしない奴には同情できない」「いじめられる奴にも原因がある」などの発言をする。自己啓発や経営書を読み過ぎるとこうなるかもしれない




1:総じて人を批判するときに「私はこう思う」ではなく「相手がこうだから悪い」という言葉の運用をすることが多い傾向がある。