「キレイな人」に悪意を教えたくなる救いがたい衝動

………わかってないな
オレは彼が傷つき汚れ堕ちていく様をただ見ていたかった
「キャベツ畑」や「コウノトリ」を信じている可愛い女のコに
無修正のポルノをつきつける時を想像する様な下卑た快感さ
その点人間の醜い部分を見続けた仙水の反応は実に理想的だったな
割り切ることも見ぬふりもできずに ただ傷つき絶望していった
そしてその度強くなった(幽遊白書・樹)

当時はこの感情が理解できなかったけれども、今は少しわかる。

何のことかわからないという人はどうかそのままでいてください。
「あるある」という人だけ続きをお読みください。



幽遊白書における樹の発言は、
サディスティックな愛情あるいは同一化欲求のようなものだと思う。
他にも

政美は悪意を教えたいのだ。
(中略)
「ようやく納得できた気がしたの。
 あ、私がチエちゃんちに思ってた、しっくり来ない感じ。
 そうだ、気持ち悪いって事を認めさせったかったんだって」
「本当はあんな家、絶対にごめんだけど、
 あの子のそういう無邪気さをいいって、かわいいって思う人もいるんだろうけど、
 私にとってはいちいち地雷を踏まれてる感じ。しかもピンポイントのど真ん中」
(ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ)

「すべての娘は、等しく自分の母親に傷つけられている」
誰の言葉だったか。
傷つけられた娘。
「傷つけられても反感を覚えない娘」に苛立つ娘が個々にもいる。

敵意あるいは防衛意識。


誰もみな、そこに自分を見るから、チエミをほうっておけない。
誰よりいちばん、私がそうだ。
普通、普通、フツウ。
その枠を外れる異常。あなたの家は異常である。
だけど、その普通に正解はあるのか。それはあなたの願望が反映されていないだろうか。
(ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ)

嫉妬あるいは過剰適応。
自分の過去・現在が必然のものであったと思いたい気持ち。





多分いじめとかについて考える際には、こういう衝動を頭に入れておく必要がある。いろんな欲求が入り交じっているのだ。ここには書いてないけど、善意やら教育意欲(わからせたろう)みたいな「良い」とされる感情も混じっているのだろう。



それにしてもわざわざ世の中がキレイではないことをあえて教えたくなるのはなんでだろう。どうせ放ってそのうちおいてもわかることなのに。人がキレイなもの、正しいことを信じていて、自分に何の不都合があるのだろう。



多分、不都合はあるのだ。



人間は一人ひとり違うから近づけば近づくだけ、良い面(=共通する面、安心できる面)だけではないことがわかってくる。その時に、正論だけ、キレイゴトだけというのは非常に危険だ。


人は誰でも自分の中にある悪や弱さを誰かに受け止めて欲しい気持ちとか、キレイなだけじゃない自分を受け入れてもらいたいという欲求があると思う。徹底されたキレイゴトを現実としている人は己の存在そのものをを抑圧し、否定する存在に感じられる。並の暴力よりよほど恐ろしいのである。

特に今みたいに、キレイゴトやら正論が溢れ、しかも力を持ちすぎている時代において、常日頃から抑圧を考えている人からすると、反発しか感じない。
だから、抵抗する。その圧力を弱めようとする。


人は触れ合いのなかで、傷つけあい、否定し合う。それはお互いが理解する過程として必要なのだと思う。
まぁえてして、やりすぎてしまうのだけれど、それはふれあいというものについて、きちんと理解してないというかもっと言えば間違った「普通」「友達観」が広まっているからだろう。

普通じゃない、と断じられたチエミに教えたかった。
どの普通にも、どの娘にも、正解はない。
(ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ)

もちろん、理解できないとか、自分と違うということをポジティブに消化して人間関係を豊かにできればいいな、とは思う。でもそんなのは理想論だとも思う。理解できないものは気持ち悪いし、違う人と一緒にいると安心できない。気に入らない。そうなるのはむしろ当然。

まあ、ほとんどの人間は、なんだかんだいってキレイゴトをいっても自分を含めて考えるとそこまで理想を徹底している人はいない。だから分かり合う余地もある。お互い受け入れ合う事ができる。
これは自分にとって都合の良い解釈だけれど、キレイな人を見た時に感じる悪意の衝動というのは、相手の「幅」とか「受容できる範囲」を広げることによって、いっしょにいたいって思う気持と通じているのかもしれない。単に「殺したくない」くらいでもいいけど。


人間関係なんか適当なものだ。 だが、それがいい。ああでなければいけないこうでなければいけないみたいな話は心底ウンザリである。



参考記事
http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20120124/p1
本当にキレイな人ならいいのだがそういう人はまずいない。「ケガレに対して極端な嫌悪感を示している人」は、大抵の場合どこかで自分だけがキレイであるために他人の人間的な要素を自覚的無自覚的に否定し、抑圧しているケースが多い。深く理解しようとせしないまま、一方的に悪と断じて切り捨てようとしていることが多い。こういう「潔癖症」的な振る舞いは、絶対的な基準によるものではなく、あくまでその人の価値観による勝手な選別にすぎないのに。

もちろんネットは広いので、自分の身の回りで他人に迷惑をかけない程度ならご自由にと言いたいが、他所まで出かけていってこの自分勝手な潔癖症を人に押し付けようとするなら、当然のように反発を受けるだろう。



http://d.hatena.ne.jp/kawango/20110618
http://d.hatena.ne.jp/kawango/20110619

あと、この系統だと東野圭吾の「悪意」とか「モンテ・クリスト伯」、「ファントムオブザインフェルノ」のクラウディア編なんかはすごく面白いと思うのでお薦め。スタジオKIMIGABUCHIの「Re/Take」なんかだと、こうした精神の解決まで描かれていてとても好きです。