誰かを軽蔑することは快である

・軽蔑と嫉妬を誤解すると大抵失敗する。



・軽蔑は嫉妬に比べると遙かにドライな感情。
 それはいつでも優越感を持っているので、快適ですらある。
 そして、この軽蔑をもたらす優越感は何ら客観的ある必要はない。



・そのため、やっかいなことに嫉妬であるはずの感情を
 自分では軽蔑という感情だと間違って自覚し
 表明していることが少なくない。



・もちろん客観的に見て下位にいる人間が上位にいる人間に対して
「軽蔑している!」といくら叫んでも「それはは嫉妬である」と解釈される。
しかし、大事なポイントになるのは上位下位では無い。
相手の没落や失敗を願っているとしたらそれは嫉妬である可能性が高い。
軽蔑は相手の没落を必ずしも願うものではない。
相手が自分を不快にしない程度の距離でそれなりに幸せであっても構わない。



・多くの人は軽蔑もまた不道徳な感情だとわきまえているため、
 こうした不道徳な感情をもってしまったとして
 「軽蔑していることによる自責の念」が引き起こされる。
 そして、その感情を引き起こさせた相手を嫌うようになる。





・とあるブロマガ*1が現在「軽蔑の感情」を大量にばらまいている。
 コレに対して「嫉妬と軽蔑を混同している人」が
 自分も「誰かを軽蔑する快楽=上から目線で語る快楽」を得ようと
 同調していま人気になっているように思われる。 
 ベストセラーの構造は繰り返す的な。
 しかし、実際にこの快楽を味わえるのはブロマガの書き手だけであり、
 後の人は嫉妬の感情を増幅させられて苦しむ結果に終わるか、
 その感情をかき立てたブロマガの書き手を攻撃するようになると思う。



・私はその人の成功失敗が気になっているのでその人に嫉妬している。

*1:ちなみにハックルブロマガのことではない