「能力のあっても自己評価低い人」は「真性の中二病」に利用されることがある

ここで重大なお知らせがあります 実は「○○はアホの子です。アホなのに自分が賢いと思っているアホほどアホなものはありません。なので今日○○には罰を与えました。

「何かもちがってますか」読んだ。とてもおもしろい。

なにやらデストロイ・レボリューションやら絶園のテンペストやらみたいな、「何が正しいかわからない」世界において、己の価値観にもとづいて戦うぜ、とか世界のつじつまがうんぬんかんぬんみたいな話かと思ってたらそういうまっすぐな感じじゃなくて、「僕の小規模な人類補完計画」みたいな印象だ。


主人公は二人。

①一人はシンジくんみたいなヘタレたやつだけど、シンジくんよりずっと普通。別に親に見捨てられたとかいうこともなく、承認欲求ガーみたいなこともない。普通に友達もいて、幼馴染の女の子もいて、好きな女の子もいるどこまでも普通の高校生。 一番重要なのは、自分をどこまでも平凡で、普通の人間だと思い込んでいること。自分に自信がない


②これに対してもう一人は中二病のアホ。アホといっても頭の回転は早く「どこかの青二才がいう意味でのコミュ力」は高い。しかしSQ(社会知能)がゼロに等しい。自分を特別な存在だと思い、周りを見下し、世界が自分の思い通りにならないのが不合理だと考える、真性の中二病。っていうか自己愛性パーソナリティ障害?根拠のない自信だけが突出している

今まで何かいつも不安感がつきまとっていた。漠然と自分の周りを構成するものの何かが間違っているんじゃないかと・・・日々野、あいつの力があればその間違いを正していける。まっすぐ歩いていける

本来は①の方が恵まれた状況にあり、②は社会(周囲)と常にぶつかってはその思い上がりを叩き潰されるという状況を送っているため、①の方が自己評価が高くてしかるべきなのだが、実際は②が圧倒的に自分に自信がある。



自信のない人間が食い物にされる構造

②は①の自信の無さ(=コンプレックスを感じている部分)を見抜いてそこをえぐり、逆に自分の自信満々な態度を見せつけ、いろいろ格好いいことを言う。(実際の②はそんな格好いいことを言えるような立派な人間ではないところがポイント)

・そんなに特別な存在なのかお前は。(略)それでそう思ってしまう自分にまた自己嫌悪して陶酔してるんだろう

・お前はそんな程度だ。お前程度に、自分が間違ってると思ってるやつなんていっぱいいる。お前は思考の点ではただの普通の人間だ。思い悩むだけ無駄だ。そんなお前が特別な力を持ってるんだ。ありがたく有効活用することを考えろ

あと、②は基本的に自分の思考と現実のリアリティが繋がっていないから、一見強い覚悟があるような事を言う。自分こそがリアリティを理解していると思わせるような発言をする

・俺は別に死んでもいいんだ。死は不可避なものでそれはそうあるべきタイミングで訪れるものだと思っているから。そもそもお前のどうしようもなく適当な能力に付き合っていたら、そばにいる折れだっていつ巻き込まれるかわからない。覚悟がなきゃお前のそばにいることなんて出来ない

そうすると、自分に自信がない①としては、何か正しいことを言われてるような気がするし、この人について行こうかな、とフラフラ心が流れてしまう。特にある事件をきっかけに①の心が弱って自信がなくなってしまってからはその傾向が加速する。



①もアホではないから、それですぐに②に心酔して言いなりになってしまうわけではない。繰り返し繰り返し「なにか間違っている」と違和感を感じ、それを表明する。しかし、「自分で判断できない」ため、②との関係を切ることもできず、状況に流されてズルズルと②側に引きずられていく。 *1


このように、何が正しくて何が間違いであるかが明確でなかったり、自分自信に自信がなくて自分で何が正しいかを決められない場合、こういう行動力とか自信だけに満ち溢れたアホに引きずられてしまうということはありうるのかもしれない。



ポイントは、①と②だけの関係では②の能力が問われないということ

この作品では、②が基本的には無能であり、嘘つきであり、口達者ではあるが空論ばかりぶちまけているということが読者にはわかるようになっている。 別にアダルトチルドレンでもないし、アスペルガーでもない。②そのものには物語らしい物語は何一つない。 ①以外の人間からすれば痛々しい中二病以外の何物でもないということも示されている。
それでも①は②を否定することができないし、②に引きづられてしまう。それはなぜなのか、ということを考えながら読むと面白いかもしれない。

②のような人間は真のカリスマを持つわけではない。あくまで対象限定の魔法、状況限定のカリスマのようなものである。「大勢の衆目」にさらされるとその神通力はとたんに消え去り、滑稽な人間が浮かび上がってくる。そのあたりは「うみねこのなく頃に」とか「北九州一家連続殺人」などの話を読めば良いと思う。



②のような人間にだまされないために意識しておくべきこと

違いますか?僕が言ってることは何か間違ってますか?○○であろうがなかろうがどうでもいいです。間違いがあるならご指摘ください。俺が一番まともなことを言える自信があるからこの○○やってるんですから。

こういうこと言う奴に注意した方が良いと思う。あまりに自分の正しさを信じて疑わない人というのは、すでに間違ってるけどその間違いを認めないでここまで来ている可能性が高いし、何よりこの先一緒に何かを殺るにしても「間違った時にその間違いを認めないため、軌道修正ができない・トラブルに間違った対処をして余計に悪化させるリスク」が非常に高い

自信が過剰なタイプは一緒に何かをやるには向かない。最低でも、自分の意見をきちんと受け止めることができるかどうかはしっかり確認しておくべきだ。 自分がうまく操縦できるつもりがあるなら別だが、そうでないなら関わらないか、遠間からウォチして楽しむのが吉。

どちらかというと、自信がそんなにあるわけではないし、内面では臆病であるけれど、信念のために震えながらも前進してるような人をうまく後押しして・・・ってああ、自分が②側の人間になりたいという欲望がダダ漏れに!?

もっとも、時には人を盲目的に信じることも大切かもしれない

私は、大学2〜3年の時かなりひどい鬱状態になってしまい、メンタルクリニックのお世話になったことがあるけれど、他者への懐疑心が強すぎて、精神科医の人をみな敵視したりしてた。精神科医がみんな②のような自分を食い物にする存在だ、精神科医なんてみんなクズだなどと根拠もなく拒否の姿勢を取ってしまい、そのため治療が全くといって良いほど進まなかった。*2 今でも人間関係によって自分が何かを得られる、自分が誰かに貢献できるというのを今ひとつ信じられなくて、そのあたりが息苦しさの原因かな、と思っている。

誰かに自分の心の一部を預けることで、楽になるということもあると思う。自分の核の部分、大事なことを決定する部分さえ手放さなければ、もう少し人に頼ってもいいのかもしれないと。 さすがに今は「私は食い物にするほど能力も価値もない」ということを自覚しているが、それでも自分をかまってくれる人がいるという状態が少し嬉しい。

*1:本当は1巻128pの星空のエピソードなんかでハルヒと全く同じ反応をしているあたり、①の主人公も己の存在に悩む中二病であり、「正しいやり方」であれば自分の存在を特別なものにしたい願望がある、という前提があるんだけどね!そういうのは作品読んで自分で確認してください

*2:処方された薬の効果を信じることでなんとかなりました