「同人」や「オタク」が自意識の最後の受け皿になってる人もいるのかも

http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20130227/p1
面白かった。こういう視点は正直なかった。

彼らのせつない「アート志向」が見えてくると、簡単に「向いてないよ」「進路考え直せ」とは言えなくなります。彼らにとっては、美術、アートが自意識の最後の受け皿なのです。それを取り去ってしまったら自分の居場所がない。人とうまくつながることもできない。「普通」の中で、「普通」のレベルについていけない自分と孤独に向き合っていくのは堪え難い。彼らにとってアートの世界は、「社会化」に抵抗するための場所ではなく、黙って受け入れてくれる幻想の「母」の懐のようなものかもしれません

ハテブで○○稼ぐことだけが日々の糧だったり
将来は俺が同人界を変えるとかいう妄想だけ打ち立ててみたり、
オタクコンテンツについてどや顔で語ることでしか
自意識を支えることができないという人に対しては、
たとえそれが面白くなくても、レベルが低くても
「向いてないよ」というのは残酷なことなのかもしれない。

自称でも何でもアーティストは、大人になることをいつまでも先延ばしにできそうな「自由」な立ち位置に思える。アートは「何でもあり」の世界だから、自分もここにいていいと思える。アートというジャンルが自意識のセーフティ・ネットになっているのです。しかしそうしたところから出てくる表現が、「私のことをわかって」からなかなか先に進まない

何年記事を書こうが、月に書いた文字数を誇ろうが、
自分が一歩も前進できておらず、そのことを自覚できないというのは恐ろしい。
傍からみればまるでマンガでよく見る「穴を掘って埋めて」の懲罰のように見えそうだ。
私も、どれだけ頑張ってもつまらぬものに執着している限りはこの状態なのだろうか。


自分の居場所を求めてアート方面に来る人はありふれた存在です。
ありふれた存在の「私のことをわかって」表現が人を動かすのは難しい。

「ありふれた人でいることを拒否したい」「人に注目される人間でありたい」
というその中二病的な願望や振る舞いそれ自体があまりにもありふれている。

ただ、オタク語りをすることで認められたい、では駄目なのだろう。
同人にしても作りたいから作る、形にしたいものがあるから作るではなく
何も考えずに作って「売る気力が」とか語ってしまうようでは駄目なのだろう。
それではありふれた人から抜け出せないのだろう。




など、2ページ程度の文章読むだけでも
いろいろ自分の近辺に当てはめられそうなこの本。
見知らぬ世界ながら楽しみながら読めそうなので来月あたりに読んでみたい。