スルー力という言葉について

私はスルー力が足りない。
一つ前のブロゴスの記事とか、スルー力高ければ相手にしないのだろう。
こういう記事に釣られてる時点で、私はスルー力が足りない。

誰かさんとかも大多数の人にとってどうでもいいことはわかる。
でもスルーできない。 私はスルー力が足りない。


でも私に必要なスルー力ってなんだろう。
私は「スルーしろ」って言葉が
「見て見ぬふり」とか「反応をするのをこらえる」って言葉に聞こえていたのだが
これは全然違うと思う。

こういう能力も足りないとは思うけど、
スルー力がこういうものであるならば、私は別にスルー力を鍛えようとは思わない。


スルー力高いことのメリットが今一つ良くわからん。
スルー力が強くても多分リテラシーというか自分の地力はつかないと思う。
そもそも気になるけど知らんぷり、ってのは私には無理。



何かに集中した結果、必要ないものをスルーしていたってのが理想だ。
他にもメタ的に上に立って、物事を俯瞰できるのも大事だろう。
一度ちゃんと考えた上で、繰り返しを感じたらもう考えないってならわかる。




でもそこで行われているのは「スルー」じゃないだろう。スルーしてないと思う。
それは、物事をパターンで処理する力だと思う。
一応受け止めて、その上で最小の手間で処理する力だと思う。
自分にとっての優先度を下げて、優先度に応じた処理をする判断力だと思う。
情報処理のルールみたいなものがしっかりしてるってのはいいことだと思う。





さらに言えば、
自分にとって心の平安を乱すだけで益にならないものを弾いたり、
気に入らない意見でも、上手に消化して
役に立つ部分だけ自分の意見に取り込める力なんかもあればいいと思う。
そういう消化力とか免疫力みたいなものであれば、鍛えたい。



そういうことをやらずに、見知らぬものや、自分の気に入らないものをただ全部スルーしてたら、それはただの人の話を聞けないバカである。青二*1である。人間のクズである。というか、スルー力自慢や推奨する人って大抵嫌いな人が多い。




故に「スルー力」って言葉はあまり好きじゃないし、他人に「スルー力鍛えろ」っていうひともあんまり好きじゃない。
そんなもの鍛えるくらいなら、スルー力の低さを笑われてでも、気に入らない意見にはちゃんと突っかかっていって、そこから何か経験を得るほうがいい。




とりあえず、私が理想とするのはNOV1975さんのブログだったりする。

*1:一般名詞