自意識は高ければ良いというものではない〜自己評価の6つの尺度〜

おっさんが気に入らない若者を「意識が高い学生(新社会人)」などとレッテルを貼って弄んだり、若者側がそれに対して言葉遊びや自己流定義で反論し、その争いを見ながらはてブ大喜利、という流れは茶番だと思います。

「お前さ、友達いんの?」
 俺がそう言うと、雪ノ下はふいっと視線を逸らした。
「……そうね、まずどこからどこまでが友達なのか定義してもらっていいかしら」
「あ、もういいわ。そのセリフは友達いない奴のセリフだわ」

はまちにもこういう会話合ったけど、これと同じレベル。



私もよくやるけど。面白いんだよね、こういうのって。




それはそれでいいけど、「意識の高低」以外にも自己評価の軸はあるよ、という話。
「自己評価メソッド」p24〜 より引用。


自己評価(自意識)を測る6つの尺度


1:高さ
面白いのは、高ければ良いとは限らないということ。
もちろん低い場合のほうがネガティブループに陥りやすい。
しかし自意識が高いだけでは低いに如かずということも起こりうる。

例えば自己評価の高さ故に「失敗を認める」「現状を受け入れる」能力が低く、
思い込みで自意識だけ高い状態を保ってもあまり意味が無い。

それは「高いがもろい自己評価」と呼ばれる状態である。
この状態の人は、以下の2以降の点全てに問題があるため
結局自己評価が低い人同様、常に不安に悩まされることになる。




2:安定性
失敗時はもちろんのこと、成功時にハメをはずさないことも求められる。
また、リアルとネットでテンションが露骨に変わる人や、
内輪の間だけ以上にはしゃぎ過ぎる人などは少し危ういとされる。
(とはいっても、内輪でのテンション高いのはしょうがないと思うんだけどなぁ)




3:調和
ひとつふたつの要素だけで自己評価を支えている人は、
安定性だけでなく、調和という点でも問題をきたすことが多い。
はてブの数だけで高い自己評価を支えるものの、
その他の面ではコンプレックスの塊のような性格だと、
普段の行動のバランスがおかしくなってしまう可能性がある。



4:自律
調和とも絡むが、
自分でコントロールできる長所を自己評価の基準の土台として持ったほうが良い。
その上で、成果や実績、人気などをフレーバーとして乗せると安定しやすい。
逆に、不確定要素が高く、他人任せの要素を評価基準の土台にすると
常に不安を抱えて生きるハメになる。



5:メンテナンスの容易性
自己評価を高めたり、維持したり、守ったりするのに無理し過ぎると
かえって人生をつまらないものにしたり、ストレスで潰れやすい。
また、自己評価を守るために防衛機制が強く働くことになる。
回避・否認・攻撃的な態度が目立つ人は、
まず自己評価をメンテナンス容易な水準に合わせると安定するようだ。




6:自己評価の適度な位置づけ
自分のアイデンティティを規定するのに
自己評価以外のものを保たなければ、バランスのとれた人生を送ることは困難である。

自己評価を大切にし、高い事故評価を保つことが出来たとしても、
いつでも自己評価のことだけを来にしているのでは、
自己評価に支配されているだけとも言える。
自己評価は、自己評価の外も意識して
アイデンティティと調和した「自己評価」を目指す時、初めて意味あるものになる。