さようならTM2501さん

このブログでのTM2501に関する言及を控えようと思います。


最後にTM2501が
なぜここまで○○○○になったのかについて下の記事を元に考えてみる。



http://togetter.com/li/369916

文章に限らず、クリエイティブ系は「作る奴」より「売る奴」が偉かったりする。偉くはないが生殺与奪権を握ってるというか。なので、クリエイターは自分で売り込まめないとキツイ。「イザとなれば、アンタ以外に【俺の作った物】を売り込んでもいいんだよ?」ぐらいの脅しあってこそ良好な関係が築ける。


あらゆるメディアで「中抜き」が横行している。tokyo walkerは「写真撮って400字で紹介文を書く」ってのを雑誌側が手配してたが、今や「お前の店が写真と文章送って来い。載せてやる」がデフォ。会見だって、垂れ流しが始まってるから「お前が会見室のイスに座る必要はない」と・・・


薄々それに気づいてる自由報道ナントカの人は、会見内容なんかより「会見場で戦う俺」を見せたくて仕方が無いのだろうが、そんなコトやっても、お前が要らんという事実は変わらないよ。何か独自のネタを取材して当てられないなら、人間は不要



人間が必要なのはどこか。「作る奴」が活躍できるフィールドはどこか。そんなの「現場」に決まってる。そんな事は何十年も前から明らかで、だからフリーの面々はベトナム戦争の最前線で「誰も撮れない写真」を撮ってきて、1枚1万ドルで売ったわけである。ただ、これはゴールドラッシュの時期に金鉱脈を探すのと一緒で、大抵は上手くいかない



そういう意味で、内容次第で購読者と収入の決まるメルマガってのは若干健全な世界だと思うが、今後どうなる事やら。結局、少数の読者に、あること無いこと「メディアが報じない真実!」と吹き込んだりして、センセーショナリズムに毒されたタブロイド紙の劣化板になるんじゃねーか

今のTM2501って誰かに似てると思ったら上杉隆さんでした。ある意味現状ブロマガの未来を先取りしているTM2501先生マジパネェっす。



上杉隆さんにしたってTM2501だって、最初から○○○○だったではなくて最初はプライドを持って作り手をやってたんだと思う。



ところが、「流通が、作りもしないで売るだけのやつに牛耳られている」状態でシステムが固まっているみたいな「真実」に気づき、そこから作り手側に主導権を取り戻そうとか、「売るだけが上手で作らない奴は敵だ」みたいな何かと戦う姿勢に染まった。
(上杉さんはともかくとして、ブログはそんなことないと思うんだがな)



で、そこと戦うこと、というか戦ってますよとうアピールにかまけているうちに、「作り手」としての自分の成長が止まってしまう。 しかも観客は内容うんぬんより、まず「戦っている青二才」を要求するようになる。芸の方にしか注目してくれない。



ここで分岐する。そこでも自分のコアを貫いて「食わねど高楊枝」を継続できるか(後に成功する、かもしれない)、そこで流され芸人になってしまうか、だ。前者がはてなにおけるハックルさんであり、後者がTM2501ということになりそうだ。まだ分からんけど。



多くの人は後者だろう。悲しい人間のサガというか、本来評価されたい項目ではなくても注目を集めることに成功すると、よほど強い理念かなにかが無い限り、どうしてもそっちの方に傾いてしまう。だって、自分が注目に値する人間だって信じたいじゃん?特に注目され続けなければ生きていくカネにも困る有様となると懐的な事情からもその傾向が加速する。かくして、骨太な、ジャーナリスティック的な精神は交代し、代わりに芸的なものでとにかく注目を集めることに時間を食われることになる。


多分こちらのルートで不可避的の「堕落」は進行形であり、堕ちきった状態になるまえに、安定した記事生産体制を確立できた人たちだけが、質を維持したまま生き残る。さて、ブロマガにおけるハックルさんはどうなるか。そしてはてなにおけるTM2501はどうなるか。 楽しみです



※ちなみにここでいう「堕落」は決して悪い意味ばかりではない。あくまで「作り手として堕落」した状態というのは、逆に言えば、売り手としては最高の状態であり、その状態を自分で受け入れられるなら、むしろ結果としては堕落していない人より上になるかもしれない。そこはもう価値観の違いでしか無い。