まどマギは賛否両論あるべき作品だと思うけど私は好きです

たとえ、魔女が生まれなくなった世界でも、それで人の世に呪いが消え失せるわけではない。世界の歪みは形を変えて、今も闇の底から人々を狙っている。次から次へと湧いてくる。幾ら倒してもキリがない。悲しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようのない世界だけど……だとしてもここはかつてあの子が守ろうとした場所なのだ。それを、覚えてる――決して、忘れたりしない。だから私は――戦い続ける!

いつもどこかで、誰かが君のために戦っている。「彼女」のことを忘れなければ、君は決して独りじゃない――「がんばって」!

http://togetter.com/li/387111
上記まとめについて、個人的な意見を書きます。







まずまどかが魔法少女概念を簒奪しているという指摘について。

この指摘には違和感があります。むしろこの作品自体は魔法少女の概念を限定した上で、それ「だけ」を守った作品だと思ってます
もう少しいうと、「QB=岩崎夏海さんが言うところの男の欲望の代弁者やシステム具現化」が創りだしたシステムの抑圧に対して、少女たちが「自分の意思で夢や希望を持って戦い続けることそれ自体を否定しない」ことだけを保証する(その戦いの結果は保証しない)という話だったかと。そして、それ以外は結構容赦なく切り捨てている。それだけ魔法少女概念は大事にしてると思うんですよね。

こういう話に対して「魔法少女の簒奪」って言われても、その言葉が何を指しているのかよくわからない。以上。





で「子供に見せるべきじゃない」指摘についてはむしろ逆の意見。わざわざ見せるもんでもないと思うけど、どうせ見るなら中高生の時分に見るのがいいかな、と。
やっぱりこの「魔法少女概念を護ってみせる」って考えは、ある程度若い人にこそストレートに響くと思います。 これが少女じゃなくて大人の世界だったらどうか。「魔法少女概念が守られた」だけで本当に救いになるんでしょうか?



大人の魔法少女ブラック企業につとめてる大人的なものと考えると、どっちにしろブラック企業なんだけど「将来に夢も希望も持てない。ならみんな死ぬしか無いじゃない!」という状態から「社長が変わって頑張ればワンチャン逆転するチャンスくらいはできたよ!だから夢を捨てないで!生きて何か行動しようとすることをあきらめないで*1」くらいになった、その程度の変化でしかないと思うんです。 



この作品は、主人公がまだ可能性のある少女たちであり、SF的なスケールを持っているため、夢と希望を感じさせてくれるような気がしないでもないところがミソだと思ったりします。「現実をまるごと救済することはできなくとも、自分が戦う場所くらい自分で決めて、自分の意思が続くまで戦い続けることくらいはできる。最初から戦うことを諦めて絶望する必要はない」と前向きに受け取ることは可能でしょう。そういう前向きなメッセージを受け取りやすいのはむしろ若い人じゃないかと。




繰り返しになりますが、この作品は、行動できない人から制約を取り払うだけで、それ以上のことをしてくれるわけではない。それでいて、制約から解き放たれたことで得られた自由に対する責任は生じるという点が重要。「この作品を見て、まどかの事を大事に思うなら、何かできること有るだろ?」というプレッシャーは感じますよね。それってすべての人にとって当然のように受け止められるメッセージでしょうか?

さらにいえば、「世界が過酷な場所である」と言うことはどう足掻いても変わりません。そこは、魔法少女の力だろうが神まどかの力だろうが変わらない。それを変えられるのは社会にいる人の努力しだいだってことです。都合の良い悪も、都合の良い救世主もいません。自分にとって都合の良い癒しとか救済を求めるだけで、動かずじっとしてるだけなら、どっちの世界でもお前は不幸なままだよバーカバーカってメッセージを感じます。自分の意志で世界と戦うもののそばにはまどかがいる。そうじゃないもののそばには・・・?「お前のそばにはまどかいねーから!くそしてねろ!」 こういう話を、すべての人がありがたいと思うでしょうか?




私的には、まどかマギカのテーマというのは構造的には「ブラック企業に勤めてるんだが俺はもう限界かもしれない」とか「要は勇気が」と似てる気がします。 世界の認識が変わることで自分も変わるという、スピリチュアリズム的な解決に近い。実際日本のクソ自己啓発書よりはこちらのほうが価値があると思いますがまぁ自己啓発で有ることには変わりない。あの作品やあの言葉を欺瞞だとか罵る人は、まどかマギカも、本質的なレベルで共感できるでしょうか?



厳しいというか、露骨に人を分類して、片方にだけ救済を与えるという構造になっているわけで、結構悪趣味な作品でもあると思います。今現実において戦ってる人には言わずもがななという満足を与えてくれるし、戦わずに立ち止まっている人や、ネットでgdgdやってるだけの人には4年ほど前の私にとって「要は勇気が」がそうだったように、呪いにすらなりかねない。(今はむしろそういう考えも有りだと思ってますけれども、当時はトラウマレベルでした)




だからこの作品は、当然のように賛否両論あってしかるべしだと思う。拒絶反応を起こす人がいてもぜんぜんおかしくないと思います。映像作品として優れてることと、その作品が好きかどうかは全く別の問題なので。
だから賛否両論は大いにあってよいと思うんですよ。「この作品のテーマとかシナリオのどこがええねん!糞だろ!」とか「まて、これはQBというか虚淵の罠だ!」とかいうのは全然アリです。というか、当時さんざんやってたと思う
のでお薦めのページがあれば教えてください。





個人的にはこれがまどか☆マギカへの最高のオマージュになっているとおもいます。
http://kousyoublog.jp/?eid=2580

われわれが排除せずには、憎まずにはいられない「かれら」をこそ、理解しようとする挑戦、それこそが「悲しみと憎しみばかりを繰り返す救いようのない世界」で「最後に残った道しるべ」なのではないだろうか。何があっても決して絶望しないこととは、まさに他者を「嘲笑せず、嘆かず、呪わずに、理解する」という単純だが多大な困難を要することへ挑戦することなのではないか。
自己を犠牲にしてわれわれをどこかへ導いてくれる救世主は決してあらわれない。ただ、一人ひとりの不断の努力によってしか、われわれの陥った希望と絶望の袋小路から抜け出す方法は無い。その不断の努力こそが「因果律ならぬ世界秩序そのものへの反逆」であると思う

最後に。「首チョンパがひどい」だとか「残酷描写があるから子供たちには見せられないよ!」「まどマギって社会現象なの?」「amamakoって誰よ」あたりのわかりやすい部分で論じてる人多いですが、そのあたりは正直どうでもいいです。元まとめのAmamakoさんですら、揶揄はしてるもののそこを主題とはしていないと思います。
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20121010/1349834149









(蛇足)

まどマギのことを悪趣味だとは言いましたが、
じゃあ私がまどマギ嫌いかというと大好きです。
私はこういう作品が大好きなのです。

http://d.hatena.ne.jp/TM2502/20121001/1349060913
http://d.hatena.ne.jp/TM2502/20121003/1349219947




増田では書いたことありますが、私はラノベだとみーまーとか、ブライトライツ・ホーリーランドが好きなのです。さらにいえば、私はerg大好き人間であり、西尾作品も虚淵作品も好きです。*2
ただし車輪、てめーはダメだ。



壊れたり歪んだりした人間がどうやって社会の中で生きるかみたいな作品が好きなんです。だからこそ、魔女システムって最高につまらないなと思うんです。 壊れたり歪んだした時点で自動的に人外となり退場しちゃうわけでしょう?まともな人間以外は、人間社会から排除され、消えてしまう。マミさんが人間の輪から外れたことを自覚した瞬間発狂して「死ぬしか無い」と思いつめてしまう(まぁマミさん自体が豆腐メンタル過ぎるという面もありますが)。 そんな「キレイすぎる社会」なんておぞましすぎる。 *3

だから、虚淵の世界のほうがずっと悪趣味で厳しくて汚らわしいけれど、そういう世界で生き残るキャラがいてもいいじゃない、って思うんです。 「続・殺戮のジャンゴ」いいよね!アニメで放映できないけどな!

*1:働け!というよりは別にニートでもなんでも、世のため人のために戦うなら肯定するよ!という感じかな

*2:ただしヤンデレは嫌いです。正確に言えば目的達成のためのタガが外れただけで、理性を保って行動できる、頭の良い異常者は好きですが、ただ恋愛を信仰対象にして思考停止した頭の悪い量産型ヤンデレはつまらないから嫌いです。そんなのは現実にいっぱいいるのだからわざわざ物語で見る必要無いですよね

*3:もちろん、キレイな世界が嫌いってわけじゃないですよ。「辺境警備」とか大好きです