「要は自己評価が足りないんでしょ?」というけれど、本当に必要なのは自己評価なの?

http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20121011/1349961364
最初に言っておくと、ほとんど意見に相違は無い


(1)社会を変える力がない私達にはまず個人の生存戦略が必要、には同意

「どうすれば、ぼくらも生きていけるような社会を作れるだろう」
「それは分からない。社会はあまりにも広いから、私には答えられない」少なくとも、今ここでは。「だけど、個人として生き延びる方法なら分かるよ」
(中略)
だれも“ぼくら”を気に留めない。だれも“ぼくら”の人生を心配してくれない。
(……そういうモノですよ、世の中って)
だから、個人としての生存戦略が必要なのだ。

そのとおりだ。コミュ障の私には「連帯して世の中を変える」みたいな戦略はなじまない。
だから、まずはなんとかして自分が生き延びることを考えるしか無い。




(2)できないことではなくできることを考える、にも同意

・『交換不可能な人間になる=えらい人になる』ではない

・あなたはあなたになるしかないし、私は私になるしかない

・“できないことのリスト”を作るのは無意味だ。リストアップすべきなのは“できること”

・職業にするには、“群を抜く”ことが不可欠だ。

同意する。最後の「群を抜く」には同意しないが、後は大体意見が同じである。
繰り返しになるけれど、総論部分にはほとんど意見の相違はない。当たり前だ。当たり前の話なんだから。ココらへんの話を今まで聞いたことがないとは言わさない。



(3)そこから先の結論(著者が責任を持って発する言葉)が抽象的すぎるのが不満

成功している人を“特別な人”と考えているうちは、その人のようにはなれない。自分と違う人種だと考えているうちは、絶対に成功なんてできない
(中略)
(……要するに、自己評価が低いんだ)
言いたいことを飲み込みながら、私は口を開いた。

「私たちが生き延びるためには、交換不可能な人材になるしかない。自分の“できること”のリストを充実させて、自分にしかできない仕事を手に入れるしかない。“群を抜く”のは、その方法の一つだ。そして、そのためには、何もしなくていい時にしていることを仕事にすればいい」
「かく言う君は、交換不可能な人材になれそうなの?」
私は、今度こそ本気で苦笑した。「そんなの知らないよ」

この文章は、なにも強制しない。ただ、こういうのがありますよって「提案」するだけだ。
作品の持っていた毒は作品の中で笑いに変えられて流される。 
人を傷つけない優しい文章だ。読んだ人にも「書いた人にも」*1
でも、この文章を読んだ私たちはどうする? 
ブクマして、イイハナシダナーってFacebookでシェアして、で、その次は?



著者はきっとこう応える。「そんなの知らないよ」「自分の頭で考えろ」。
結局のところ……そういうモノですよ、世の中って。





だから自分の頭で考えたい。というかいつも考えてる

私は現状の自己評価が低いことを失敗の原因だと思わない。むしろ現状の自己評価が高すぎるバカよりはずっと好きだ。だから、そういう人に無理やり自己評価を高くすべきだとか言いたくない。自己評価なんざ低くても良い、必要なのは、自己評価ではなく情報だと思う。何をすべきかの指針であると思う。

というか、そうでないと私が死ぬ。精神論の問題になった瞬間私は最弱である。やる気とか勇気とか自己評価が評価の軸になると私の人生は詰む。だから全力で拒否する(笑)「真実」「世の中の総意」なんか知ったことか

私は情報不足や知識不足を第一の問題とする。目標を達成するための手法や道筋を知らないことが、そういったものがあると考えないことが、人の目標を切り下げさせるのだと思う。

*2

「要は勇気が足りない」とか「要は自己評価が低い」とかいう人は問題を過度に単純化する。考えすぎだと笑ってくれても良いけれど、その単純化されたモノサシが、自己評価が低いという理由だけで人を切り捨てたりするのが怖い。いや他人のことはともかく、私はそういう評価で測られるのがいやだ。 だから「自己評価が低くても戦える方法」を考えなければいけない。自己評価が低くても、自分を安売りしすぎないで、少しでも良い条件を獲得できるよう戦える方法を考えたい。

実践すれば、少しでも現状がよくなる話のひとつでもしたい。人生は自己評価の高さじゃなくて、こういう目の前の壁を一つ一つ越えていくという地味な取り組みの積み重ねだと思う。そのための体力つくりとか知識の獲得とか、そっちを一生懸命考えたいし、人にはそういう話をしたい。他人に向かって「要は勇気が」とか「要は自己評価が」みたいに具体性を欠いた精神論を言い出しだすような人間になりたくない。 自分が考える時に抽象的なのはよい。でも他人に何かを語る時は具体的に、具体的に、を意識したい。



http://anond.hatelabo.jp/20110108223054 
http://anond.hatelabo.jp/20110113220119

この本読むくらいならまだもしドラの方がなんぼかマシだ。どんなに未熟であろうと読者を応援するつもりがある本のほうが、どんだけ賢そうで文章がキレイでも読者の知りたいことを放っておいて偉そうな説教する本よりはなんぼか読める。
バカなやつはバカなりに、自分の問題くらい分かってんだよ。「常識は気に入らない。でもそれにどう抗っていいのかわからないから、ぎりぎりまで逃げまわって、逃げ切れなくなったらおとなしく従う」って感じで生きるしかないのかなって思ってんだ。でも、出来ることならどう考えたらいいのか知りたい、道具とか武器を手に入れて少しでも自分の力で戦いたいって思ってるんだよ。
(中略)
もしドラの読者が何を求めてたのか考えようともせず、こんな投げやりのアドバイスですまそうってのは、納得いかねぇ。

*1:かんどうてきだなだがむかちだ

*2:「そういうのを自己評価が低いって言うんでしょ?」みたいな言い分に耳を貸すつもりはない。一般的な意味で、「自己評価がとても高そうで」「その人にしかできないことをやってるつもり」だが、実際は・・・という人をつい最近見てきたばかりだからだ。彼は将来どうなるんだろうね。まぁそれはおいといて、「話の中心を自己評価の高低におく」事自体誤解の元だから、あくまで一番大事なのは違うところにある、と強調しておきたい