岩崎夏海さんが語る「伝説の作り方」

togetterでメイロマさんと共同で対ちきりん戦線張ってる。この姿をまとめたら私が岩崎さんに対してやってるのような「一人相撲の有名人Verという見世物」としてブコメは稼げるのはわかるけど、ファンとしてはこっちをまとめておきます。勢いで書いてるので、敬語とそうじゃない部分が混じってますが、感情の動きがわかっていいよね!ということでご勘弁くださいm(__)m

「コンテンツマネタイズ論」について少し考えてみよう。

まずマネタイズ。日本は現代においてはみんな物質的に豊かになってしまった。だから物が売れなくなった。そういう時代にも売れ続けているものがある。それは何か?ブランドだ。ブランド品が、今、売れている。

服など両極端だ。名前を出して悪いけど、昔、丸井で売っていたようなブランドが軒並みなくなった。とても安くていいものか、とても高くてとてもいい物しか売れなくなった。ブランドは今、右肩上がりなのだ。なぜブランドが右肩上がりなのかというと、ブランドは、昔から金持ち、つまり物質的に豊かな人向けに物を売ってきたから、物質的に豊かな人に物を売るノウハウがあるのである。だから、物質的に豊かな現代にマッチしているのだ。現代の勝ち組の一つである。

日本が貿易赤字の国が世界で3つあるという。フランス、イタリア、スイスである。日本はフランスから鞄を買い、イタリアから服を買い、スイスから時計を買っている。だから赤字なのだ。そしてどれもブランド品だ。日本人がブランドを好きなのではない。物質的に豊かな人がブランドが好きなだけだ。だから、ブランドを研究すれば、いま、物の売り方が分かる。もっと具体的に言えば、ルイ・ヴィトンアルマーニ、ロレックスの店に行って、その商品や売り方を穴の開くほど見つめることだ。可能であれば買うのがいい。そうすると、現代のものの売り方が分かる。


ところで、日本にも昔から金持ちはいた。そして金持ち相手の商売はもちろんあった。金持ち相手の商売としては、例えば相撲のタニマチ制度がある。芸事の庇護者となることで、社会的なステータスを得るという関係性だ。おれも体験したことはないけれど、誰かの庇護者になるというのは、これは異常な快感だろう。異形のものである相撲取りが、庇護している自分に向かって深々と頭を下げる姿は痛快至極だ。電話で酒場に呼び出し、ホステスに紹介でもすれば一発でもてる。すごい効果だ。タニマチシステムは、物質的に豊かになった日本人が今、買いたいものである。日本人は、物質的には満たされているので、名誉やステータス、あるいは自分が権力者だという実感を金で買いたいと思っている。それになら金を払いたいと思っている。だから、自分もタニマチ気分を味わいたいと思っている。芸者を自分の庇護下に置き、傅かせたいと考えているのだ……とここまで考えたら、それを実際に実現しているビジネスがあった。AKB48だ。その選挙システムである。ファンは投票権にお金を払うことで、メンバーを庇護下に置き、握手会で頭を下げさせている。だから、タニマチ気分を味わえるのである。この気分を買うためだったら、お金を出してもいい。そう思っている。だから、あれだけお金を吐き出すのだ。これからのコンテンツビジネスは、多かれ少なかれこうした満足を顧客に与えていくことが必要になろう。物ではなく名誉を売るのだ。ステータスや力そのものを売るのである。

翻ってコンテンツクリエイターはどうだろうか?やっぱりすぐれた作品、常人には生み出せない価値を作り、それを庇護者に明け渡す。かつてルネサンスの芸術家は大富豪の庇護の元にあった。今は、物質的に豊かになった一般の人々の庇護の元にあるという在り方が求められるのだろう。「ひょうげもの」には古田織部の庇護する芸術家たちが出てくる。ああいう形だろうか。おれは全人生をかけてこの世界に隠れている優れた物をえぐり出し、それを庇護者に提供する。原始仏教にも近い形だろう。おれはありがたい説法話すことの対価として、人々から生かしてもらうのだ


村上隆さんの「創造力なき日本」を読んだ。ぼくにはどれも合点のいくことばかりだが、多くのクリエイター志望者には露程も理解できないことばかりだろう。これを書くのは村上さんの戦略である。伝えることが重要なのではなく、伝わらなくて苦しんでいることを伝えるのが目的。これも、多くの人には分からない。だから、多くの人は村上さんにこうアドバイスするだろうな。「村上さん、こんな言い方や伝わるものも伝わりませんよ。もっと分かりやすく言ってあげないと」でも、こういうアドバイスこそが分かってない証拠。村上さんは伝えることが目的ではないのだ。伝わらないことが目的なのである。すると、多くの人が疑問に思う。「なんで伝わらないことをわざわざ言うの?」と。だけど、考えてみてほしい。村上さんが言っていることは伝わらないけれども、村上さんの言っていることが多くの人に伝わらないという現象そのものは、誰にでも伝わるのである。誰にでも分かるのだ。そして、それが重要なのである。それが強い戦略なのだ。なぜなら日本人は、周囲から理解してもらいない人ほど実は優れた芸術家であるという芸術家観を持っているからだ。村上さんはそこを狙い撃つのである。誰にも気づかれないように。それが芸術家の戦略である。長嶋茂雄さんはわざとぶかぶかのヘルメットをかぶっていた。それは、空振りした時に脱げて、フルスイングしているように見せるためである。ファンサービスなのだ。ここまでは分かる。しかしさらに重要なのは、こうした裏話が今や誰にでも知っているくらい共有されていることだ。そうして、長嶋茂雄の伝説はさらに強化されている。単にフルスイングしているように見えること以上に、フルスイングしているように見せるために大きめのヘルメットかぶったという逸話が流布する。そういうことが流布するところまでが長嶋茂雄伝説なのである。しかもそれは、人々は長嶋茂雄が天然でやったものだと誤解している。実はそこまでが戦略なのだ。そういう戦略の肝の部分は理解されない。しかし長嶋茂雄の伝説だけは強化されるのである。

ここまでは大変面白い。



とにかくぼくも苦しんでいくしかない。それには口で言ってもダメだ。行動で示さないといけない。具体的には、毎日2000字のコラムを書き発表し続けるという、前代未聞の分量の執筆を長期にわたって続けること。ここにしかぼくのできることはない。*1それをやり続ける。かって誰もやったことのないことをやる。作品の内容もそうだけど、それ以外の伝説的な部分が魅力として成立しない限り、コンテンツがマネタイズしていくのは難しい。ただしこれは、今に始まったことではないので、今さら声を大にして言うことでもないが。

ぼくのブロマガは、ぼくが苦しんでいるところを見てもらう場です。日本にここまで艱難辛苦を味わっている男がいるというのを、お金を払って見て頂く、言うならば見世物小屋です。もちろん、書く内容が優れていなければ意味はない。しかしそれは、優れた内容のことを書くのが結局は苦しいから、優れた内容であるべきという理由でしかない。つまらない内容の記事だったら誰でもかける(それでも記事に仕上げるのにはなお苦労があるが)。だから、それじゃ意味がない。

本当に優れた記事を書くからこそ苦しい。苦しんで苦しんで優れた記事を、面白い記事を書く惨めで物珍しい男を、どうかみなさん、見てやってください。ぼくの修行を、みなさんのお力で庇護してください。そうすることによって、ぼくはみなさんに、みなさんが見たことのない、苦しみの果てにしか辿り着くことのできない真理というものを見つけてきて、それをみなさんにお伝えいたします。ご報告いたします。この世の意味というものを、みなさんに報道いたします

まぐまぐのトップの方を見てみると、岩崎さんと同じ取り組みをしてる人結構多いような気がします。20万部越えの「平成進化論」とか「ビジネス発想源」とか「伝説の社員になれ!」の著者とかが有名。実際あそこらへんのメルマガって一話一話の内容をちゃんと読んでる人ってそんなに多くないと思うけれど、その取組みの方が「伝説」化してバズってるなとは思う。

岩崎さんもその方向を目指しているのだと思うけれど、「かって誰もやったことのないことをやる」は、こうしたメルマガ先行者の「有料」版ということになるだろうか。 上にあげた例がバズったのはそういう伝説がとセットで「無料」だから紹介しやすかったというものがある。 一方でこの「レジェンドマーケティング」とも名付けるべき戦略が、「有料」の壁を越えられるだろうか? AKBと同じように多くの人から金を集められるようになるだろうか? これは非常に興味深いです。

岩崎さんは5年後に購読者10万人を目指すと言っていた。AKBのことはよく知らんけど、AKBもある程度の長い期間を経てじわじわと熱狂的な支持者を獲得したという事実を元に考えているんだろうと思う。この人の思考の原点はどこからどこまでいっても常にジョブズかAKBであるが、ここまで徹底してネットで「マス・テレビ」の戦略を貫こうとしている人は珍しいと思う。個人的には5年やればある程度のところまではいくんじゃないかと思う。

ずばり到達地点は3000〜5000部と予測しておきます。AKBのようにはならない。まどかマギカのようにもならない。なぜなら岩崎さんだけでは、自身がまどかマギカやAKBについてのブロマガ記事で指摘した「欲望」を刺激しないからです。 今の路線を継続するだけならその程度でしょう。 そこからいかに「もしドラ」のように、本人には無い「少女」のような要素をブロマガに持ち込めるか。それによってまた結果が変わるかも知れませんね。 

今のままだとせいぜい「エースの系譜」と同じにしかなりません。レジェンドを描くのは良いとして、そのレジェンドに一部の熱狂的なファン以外の大衆を惹きつける要素はない。他のレジェンド系のメルマガ執筆者のようなキャッチーな要素がない。 村上さんにしたって、そういうわかりやすい要素だけではない。ブロマガの内容自体にどんな売りがあるのかが見えない現状では、「有料」の壁は越えられないと思います。


まぁ例のごとく、そのあたりはすでに十分ご理解の上で、着々と戦略を練っておられることだと思います。これからの飛躍にご期待しております。


ぼくは、文章を書かずにはいられないし、アイデアを考えずにはいられないけど、それはやっぱり苦しんで苦しんでやっているから、自分では努力だとしか思えない。おれは努力しているし、だからまあ、一般的に見れば努力家なんだと思う。誰もまねできない量のテキストを書く。まず本の原稿を書き、次にブロマガを書く。休憩時間にツイッターで文章を書く。でもこれも努力。ツイッターは息抜きだけど、息抜きの時間も効率的に文章力を向上させたいと考えた結果、こういうことになった。

だからおれは、努力しないで何かを得たいという人の気持ちが分からない。仕事を得たかったら、単に努力をすればいいだけの話だと思うが。そして実際、そういう人はごろごろしているし、そういう人たちで世の中は回っている。努力なんて、どうしたって回避できないし否定しきれないものでしょ。割り切って努力すればいいだけの話だと思うけど、違うのかね? みんな、自分を疑うことを覚えないとね。みんな、努力したくないと思っている自分に騙されているんだ。そんなの嘘で、努力したくない気持ちなんて誰にも証明しきれない。本人がそう感じるからといって、そんなのちっともあてにならないよ。だって、自分の感覚が狂っていない証明なんて、誰にもできないからね。だから、自分の心の声なんて無視して、つべこべ言わず世の中で正しいとされていることをすればいいのさ。ただそれだけの話。そっちがほんとはマジョリティなんだ。ホッテントリとか見ているとついついそっちに目を奪われるけどね。

最後に、努力の価値について一生懸命訴える岩崎さんに対してツッコミ。いいたかないですけど、しれないですけど、ちきりんさんとか「ハックルさん」は、似たもの同士だと思います。近親憎悪良くない。

みんな努力の必要性がわからんわけじゃない。しかしあまりにも「無駄な努力」「勤勉革命」がゴリ押しされた結果として「とにかく努力しろ」という言葉に対して強い警戒心を抱くようになっているわけです。努力した結果デスマーチなどによってすり潰されることを恐れている。

特に「たまたま方向や時代にあった」だけで成功したかもしれない人に、努力の重要性を説かれると反発を覚えるのでしょう。ちきりんさんを支持しているのは「どういう努力をすればよいのか」という答えを求めている人なのでしょう。そして、それに安易な答えを求めるな、という意味で「自分で考えろ」というのはそれほどおかしな事じゃないでしょう

http://okadaic.net/archives/252

「ライターになる方法をおしえて」と訊くような子はなれないでしょう(枡野浩一

ちきりんさんが批判されるべきだとしたら「自分で考えろ」の前に時々偏った情報や考え方を提供し、それがあまり自分で考えない人を変な方向に誘導することが多々ある、という点だけです。それは、岩崎さんにもまんま当てはまることであり、誰にだって当てはまります。

記事単位で批判するのはいいし、それに対して自分が正しいと思うことを対抗言説として掲げるのは良いと思いますが、それ以上のことやるならそれはどうなんだ、と。「ちょっとは鏡見ろやハゲ」と言っておきます



http://togetter.com/li/389070

ぼくは自分をごまかす人の敵です。結婚できなくても「それは自分に原因がある」と思っている人には必ず道が開けます。

まぁ確かにちきりんさんは、自分の言説に流されている人とか誤解してる人のフォローは一切やらない。むしろ上から笑ってるような雰囲気はあります。記事はオープンにして視聴者数を稼ぎながら、批判的意見の多いはて部を閉じたことを批判するのも、あなた自身がはてブをクズ呼ばわりしてないなら分からないこともない。*2そこら辺が、いちいち誤読に対して反応したり、「誤読を許さない=自分の思い通りに読んでくれる人以外お断り」な岩崎さんとは違うかも知れません。 
ただこれだって大概だと思いますけどね。「自分で考えろ。ただし俺の意図と反するのは許さん」ってのはどっちがマシかわかりません。ハックルさんがやってるのは、ちきりん批判じゃなくて、ちきりん読者批判だと思う。

それは、まどかマギカそのものへの嫌悪を経由して、まどマギ支持者批判へと踏み越えてしまったamamakoと対してレベル変わらないと思うので自重してもらいたい。少なくともブロマガでこういうクソな話をしたら怒ります。


追記。

・流れの方向は、その逆じゃなかったっけ?(うろ覚え)>「まどかマギカそのものへの嫌悪を経由して、まどマギ支持者批判へと踏み越えてしまったamamako」
・そこまでのもんでもなかろうに絶賛してるまどか好きうざい→まどかマギカも嫌い!!!!だった気がする。

amamakoさんに関して私の理解が間違っているようです。amamakoさん申し訳ないです。

*1:ちなみに、筒井康隆さんが言っていたが、長編一本書くのと、ショートショート一本を書くのは、執筆量こそ違うけど、アイデアや構想の量は一緒だという。ショートショート一本書くのにも、アイデアや構想には長編一本分の労力を使う。だから、星新一は凄いのだ。凄すぎる、と。手塚治虫もそうで、ブラックジャックの一話一話は、普通のマンガ家なら軽く4、5巻分の長編にするほどのアイデアが詰まっている。それをたった16ページで消費してしまうのが信じがたいらしい。短い作品は、実はそれだけ難しいのだ。

*2:というか「はてブ非表示を提唱したのはオレだ。ちきりんはオレに感謝すべき」って記事書いてましたよね。