ボケとツッコミはいつから対立関係になったんですか

「1億総ツッコミ時代」の話が話題ですね。しかしこの本自体は悪くないはずなのに、この本を読んで「あるある」言ってる人たちの論調が軒並みひどい。


・ボケと馬鹿の区別がされておらず一緒くた
・ボケとツッコミをなぜか敵対関係のように扱う
・ボケは許される勇気のある存在だがツッコミは自己愛に飢えたハイエナ扱い
・そうやっていろんな不都合をすべてツッコミ側にかぶせた上で自らをボケ側に置く
・ツッコミの作法についてはさんざんダメ出しするが、
 自らのボケについては全く批判的な視線が示されない


という、なんだか「すくいきれないもの」を見るような気分。
自分のやってることに免罪符を手に入れて、ガイキチのふりをして大路を走る狂人状態の一歩手前かという思うような変テコな話が多いです。著者のマキタスポーツさんはそういう読まれ方がシたかったわけじゃないと思うんですよね。



本来は、むしろボケとツッコミがうまく噛み合ったした時の面白さを思い出そうよ、みたいな話だったと思うんだけど。ボケとツッコミの基本や理想形を確認して、基本をしっかり理解したほうが面白いよって話なのであって、その基本からバランスがズレてるから駄目だという論を展開するなら、ツッコミだけじゃなくボケだっていろいろ直すべきところがアルんでないの?

ボケが勢力を取り戻してツッコミを虐殺しろ、とかツッコミを抑圧しろみたいな話じゃなかったはずだし、みんなボケて!って話でもなかったはずだし、ボケてる人間を肯定しようって話でもなかったはずだ。 それなのにもう普段の鬱憤が溜まっているのか、「ともあれ俺を批判するやつは許せない」「ともあれ匿名コメントは滅びるべき」「ともあれはてなは僕にお茶をださなかった」「ともあれmixiは以下略」みたいな感情がスケスケになった状態でボケツッコミ論を展開してる人を見ると、なんだかなーと。



多分こういうことを書いてる人たちは、本当はボケとかツッコミとかいう問題じゃなくて、本来あるべき人間関係の距離感がずれてきたとか、礼儀知らずが多いとかそういうところを話したがってるはずなのだ。 でもそういう個別の感情を隠すように、それを全部ボケとかツッコミの対立構造というか、二元論みたいなところに持って行こうとするのはどう考えてもおかしいでしょう、と。



「この世には二種類の人間がいる、ボケとツッコミだ」って言われたらどうでしょう。この分類に同意しますか? ボケとツッコミ両方演る人もいるし、両方やらない人もいるし、状況によって入れ替わるし、そもそもツッコミの人を批判するなら、その時点であなたがツッコミの人になってるよね、って話がグルグルし出しますよね。 こうなると「ここにメタブタワーを立てよう」って話にしかならない。そういう不毛な話をしてるってことになぜ気づかない。これだから人間は。



とりあえずこの「ボケツッコミ」て言葉は、みんな言葉はよく知ってるけど、意外とイメージが共有されてないのだな、と思う。*1読む人によって言葉の解釈に自由がありすぎて、この言葉で会話すればどんどんズレまくると思う。それなら最初からボケつっこみじゃなくて、ボケ側は「主催とか生贄」でツッコミ側は「客とか暇人」みたいにちゃんと正確に表現したほうが良いんじゃないかな。 わかりやすくしようとして結局よけいわかりにくくなったり、他人にレッテル貼るための便利な道具になってるのはちょっと悲しい。



ちなみに「1億総ツッコミ時代」で語られていることに近いのはコレかな、と。

http://blog.livedoor.jp/ftakahiro/archives/1720774.html

いろいろ分析するのもいいけど、分析して上の立場に立つのが目的じゃないよね。
大事なのはこういうことだよね。

彼らの多くは、「ちょっといま、面白いこと考えてるから一緒にやろうぜ」と言えば必ず乗ってくる。だから、ちょっと年上の僕らにできることって、「ちょっとこっち来いよ」って無理やり巻き込んでいくことなんじゃなかろうか。

ボケとツッコミにわけて、ツッコミ側を批判してる人たちというのは、「イマドキの若いもんは」と言ってはばからない老害オッサンたちの変形にすぎない。
たとえ言ってることが正しくてもそんな論の展開して「イマドキの若いもん」に振り分けられた方がいうことを聞くわけ無いでしょ、ってのはいい加減理解してください。 *2



そもそもツッコミとか批判の価値を、バッサリ否定できるわけ無いだろ。善悪の問題じゃねーんだぞ。自分が嫌いなやつを語るために大勢のものを巻き込む主語デカイ論争の最たる例を展開しておいて、「僕のことは馬鹿じゃなくてボケと読んでね」とかもうなんというかなんというか・・・だめでしょう(ボキャ貧ここに極まれり




最後に、私にとっての理想的なボケとツッコミのイメージはこんな感じです。

両者がばっちり噛み合ってるからいいのであって、
そこがズレてるならそもそもそれ「ボケとツッコミ」の関係と違うよね、と。

そもそもが芸であって、観客を楽しませたり、高いパフォーマンスを発揮するために
両者が協力することが必要不可欠な関係とちゃうんか、と。
すべてのコミュニケーションをボケとツッコミに分類しようとするなや、と。
ボケとツッコミなんて言葉で社会をなんでも語ろうとするなや、と。

絶対に、ボケとツッコミって上下関係とか敵対関係じゃうまくいかないと思うんですよね。
その大前提自体を崩して、なんとなく便利だからといって変な言葉の使い方されているのはすごく違和感を感じる。

*1:ドラッカーのマネジメント」ばりにみんなが勝手に想像をふくらませてる印象

*2:あと老害的発言擦る人は「あいての方が優秀になったり正しければ退く覚悟」くらいは前提にあると思うけど、ボケツッコミの対比で語ろうとする人にはソレすらもない気がする