お笑い論読みながら岩崎さんについてつらつらと

http://togetter.com/li/405488

非常に興味深いやり取り。岩崎夏海という人物について論じる時の下敷きとして勝手に参考にさせてもらうつもり。私にとって岩崎夏海という人物はよくわからんのだけれど、ここで議論をしている人たちにしたら、非常にわかりやすい人なのかも知れない。

1990年台前半では松本人志の笑いはもっとも時代に合っていたし、求められていたし、その時点に置いては彼は頂点で合ったということは、きちんと認めてください。それがないアンチ言論は無意味です。

「2008年にはもしドラの登場は時代にあってたし求められていたし、その時点においては彼は頂点であったことはきちんと認めてください。それがないアンチ言論は無意味です」

という感じで置き換えながら読んでみます。*1

惜しむべきは彼が時代の変化や、自身の変化に対応できなかったのが残念という話ですよね。あとまあ自分が創った時代の空気に縛られてしまった。歴史的観点から言えば1990年代におけるお笑いのし上拡大と影響力の拡大は、実はお笑いにとってもっとも大事な視点である「外からの冷たい目」を失わされてしまうという反動が存在し、それが21世紀の今になってそのツケを支払わされている

松本人志の不幸は、彼が実はその発想がすべて「モンティ・パイソンという車輪の再発明」で、それが全盛期の吉本やテレビ局、そして知らない世代まのニーズと合致していたが故のヒットで、なおも不幸なことに彼はそれを認めようとせずに再生産を繰り返し続けているところにある。モンティ・パイソンはむしろ自分たちがシェイクスピアアイルランドの「デッドパン」芸人の再発明って、テリー・ギリアムなどは自覚しつつさらにそれを勉強や解釈などをしながらふくらませていったわけで・・・松本人志とそのフォロワーたちは、『そら時代に置いてかれるわ』不勉強過ぎ。
まあ松本人志のやったことって、教養主義の否定ですからね。そりゃいま映画監督として苦労するはず。香川先生とか上岡龍太郎はすげえ警告していたのにな。既存のものを否定しまくるというのは勢いあるときはいいけど、勢いなくなったら蓄えがなくなってるということなんですよね。

これがどこまで本当かどうかは分からないが視点として非常に面白いお話。アンチの存在のお陰だろうか、自分のヒットを真剣に分析して解釈することで松本人志と同じ落とし穴にハマらないように努力してる岩崎さまは本当に頭の良いお方(ダム決壊)



逆にタモリやたけしの異常なまでのしぶとさは、彼らはもう自分たちが『過去のものたちのアレンジ』だって知り尽くした上に、自分たちの立場を活かして資料集めて勉強したりスタッフ固めたりしとるあたりで、「ただ取り巻き集めただけ」の吉本芸人と勉強力が違いすぎ。さんまは若い頃にラジオスタッフに「教養の大切さ」というのを叩き込まれたんですよね。さんまは実は発想はつまんないよね。ただきちんと「どんな話題でも盛り上げられる」という芸人のもう一つの必須技術を徹底的に昇華した。とんねるずも発想やネタはつまんないけど「盛り上げる」ことについては東京最強の芸人

芸人は「発想が大事」というのは思い込みで、実は一番必要で、しかも一番食っていける能力は「とにかく場を盛り上げる技術」です

いろんな対談本やら企画本に参加したり、ブロマガでもいろんな対談に首を突っ込んでいるのはこのあたり意識してるのだと思う。秋元さんの下やはてなで培った部分も大きいだろうけれど、
それをより普遍的なものに変化させていこうとしているのではないかと思われる。


さんまは若い頃にラジオスタッフに「教養の大切さ」というのを叩き込まれたんですよね。そのスタッフにさんまはいまだに感謝してるから、関西ローカルのテレビとラジオ続けてる

今kawangoさんと、岩崎さん、その他津田さんや村上隆さんの間で繰り広げられているのはこういう話だと思う。
http://ch.nicovideo.jp/article/ar15520

さんまの時代と違って、最近は人を褒めるのにそれほど手間はいらない。ただtwitterでそれとなく「この人いいですね」って言うだけでもそれなりに効果はある。褒める方はリスクが少ないってのもある。褒めてた相手が上杉隆みたいにならない限りは、たとえ相手が成功しなくても自分の評判はおちない。だから、有名人な方々は少しの手間で、将来の有望株に対する種まきができる。
良いなと思った人がいたらあまりブレークしてない時から褒めておく、のを丁寧にやってる人多い印象。ただ、岩崎さんはここで「先物買いとしての批判」をやってるわけでそこらへんは面白いと思う。


逆に、一般人は結構手間ひまかけ手一生懸命応援する必要があると思う。「プチピーマン」さんのエピソードはかなり印象に残りますね。
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20111108/1320701826
私は岩崎さんに対してはどうしたいんだろうかなぁ。よくわからない。


カリスマポジションって責任を背負えないとダメですからね。別に背負い方は無責任で構わないんですけど。背負える『面白さの背骨』が無くても振りをして誤魔化すという商売はあったと思うんですよ。そういうことしてる人はいるし、ただどうも背負うということ自体が分かってなかった。例えば矢沢永吉とか長渕剛なんかは、背負ってるポーズがすげえ上手いですよね。紳助も結構それに近い。矢沢永吉の言うことが瞬間瞬間でコロコロ変わるとか、長渕剛のキャラクターが時代毎に全然違うというのは、あれはカリスマを演じるのが上手いという表現で良いと思う。

このあたりは「小説の読み方の教科書」でも吠えてたし、
http://anond.hatelabo.jp/20111011200303 


今のブロマガでもしょっちゅう「俺がブロマガ界をリードする!」と唸ってる。
http://ch.nicovideo.jp/article/ar13731
http://ch.nicovideo.jp/article/ar13942
http://ch.nicovideo.jp/article/ar6224
岩崎さんのすごいところは、カリスマが宿ってない時点からカリスマが宿るような行いを理論付けした上で意識して行なっているところ。(その理論が正しいかどうかは問題ではない)青い人なんかは天然でやってたり、形だけ真似してる感があるけどそこはかなり差としてでかい。


上岡龍太郎は本人はそんなに面白くないけど批評やぶった斬りは天才というかものすごい勉強してる人。上岡龍太郎は芸人の評論家としては超一流の経験と知識持ってるので今一番関西に必要な人だと思う。

吉本というかお笑い全体のの凋落見ると、ああいう「傍からツッコミ入れる」存在の大事さがわかりますな。そもそも「お笑い」というものが、「ここがおかしいんじゃね?」というツッコミ的な部分が表層的深層的いずれかないと成立しない代物なのに、小林信彦上岡龍太郎藤本義一などの「外部からのツッコミ」を意図的に無視してきたら、ご覧の有様である。ツッコミ不在ってのは業界すら成り立たん。お笑いの批評性を自分で否定してどうすんのよとね

つーか、お笑いブロガーって、芸人を神聖視しすぎなんですよ。お笑いブロガーの話聞いてると、「お笑いを好きで語る人間は、芸人に対して無制限のリスペクトを捧げないといけない」みたいな常識に縛られてる。否定的なこと書いちゃいけないという強迫観念が凄い。まさに今のお笑いの『批評性皆無』がなー。そらみんなニコ生とかいくわ(笑)薄いんですよね。とにかく褒めなきゃいけないという縛りが凄い視界を狭くしてる。
客層が若くて「自分の好きなのが批判とか否定されてると嫌」という読者界隈の事情もあるけど、やっぱり松本人志以降の「俺たちの素晴らしい笑いは黙って崇めておけ」という宗教にはまって抜けられてない人が多い。要するに全員いなくても、上岡龍太郎一人いりゃ、むしろその方がいいレベル

このあたり、ニコ生では語ってたけど佐藤秀峰的な「漫画家は神聖な職業」みたいな意見に対する岩崎さんのツッコミとかは結構面白いと感じました。
まぁマンガ業界やラノベについてはツッコミがまだ機能しているし赤松健さんなどもいるから岩崎さんが必須ではないけど、岩崎さんは小説業界なら同じような感じで立ち回れると思う。

ぶっちゃけ小説を自分で書くよりは上岡龍太郎ポジションが似合いそうとか思ってたり。小説やらコンテンツ業界そのものに対するツッコミ役としてなら、多分今でも需要あるし、岩崎さんにしかできない仕事だから引っ張りだこじゃないかと。もちろん仕事のレベルが上岡龍太郎と同格かどうかの判断はお笑いに詳しい人に任せますが。

実際kawangoさんは、そういう面で面白がってる感じがするわけだし。しかし、性格上どうしても本人は小説書きたがるんでしょうね。こっち側はいまのところはあんまり期待してません。本人も60からが勝負だと言ってたのでその頃に傑作が生み出されることを首を長くして待ちましょう。


笑いってのはセックス以上に歴史的素養が必要な分野です。演劇というか、それはギリシャ悲劇の頃からそういう声掛けはありました(笑) 紀元前からある伝統。だから面白いのよ
ともあれ、タモリたけしダウンタウンとかが、それ単体でデビューし受けたと思う事なかれ。きちんとその下地をつくる市場はあってのことなので、昭和文化の素養なしに『お笑い論』とか無理。歴史の素養とお笑い論は必須
お笑い論ってのは文化社会風俗歴史などの土壌を踏まえた上でのものになるので、むしろ並の歴史などより難しいのですよ?
『今のお笑いを語れればいいや』とか抜かすバカは、来年『何言ってだコイツ』になるのです。『時代背景は大事』

これもなんか岩崎さんブロマガで語ってた。該当の記事忘れたけど。私はブロックされちゃってるので誰かフォロワーの人が、直接岩崎さんに質問してください。



『若い発想』信仰の最大の犠牲者はお笑い芸人やな(笑)落語で、真を打つまでは既存の噺しか演じることを許されないってのは、実は根本的には正しいねん。ただ全体の効率やそういう効果を自覚せずに抑圧だけしていたせいで非合理と言われていただけでな。きちんと理論化して、それに沿った育成システムにしていけば、実は非常に正しい『後進育成システム』なのよ。
「流行の業界に良い人材が集まり育っていく」というよりも、今までマンガ、アニメ、音楽、お笑い、ラノベなど「いくらでもなりたい若手がいる」から使い捨てにしてその中の一本当たりゃ儲かるってやり方が成功しただけ。不況と少子化で、もうそれ無理だから(笑)そもそも立川談志の代表演目である『芝浜』なんて、これまで死ぬほど演じられてきたけど(「よそう、また夢になるといけねえ・・・」の噺)、談志はこれを大胆にアレンジして、「昭和の大名人」の座を不動にする名演題にしたわけで、そういうのが大事。

このあたりの教育論もブロマガで語ってましたね。
http://ch.nicovideo.jp/article/ar13535
詳しくは「どら息子」とか「寄席芸人伝」いうマンガを御覧ください。あと岩崎さんがはるかぜちゃんに対していろいろいうのもこのあたりを意識しているからでしょう。



実作家とそれを批評する側というのは
現在でもそうですがそれは相容れないものであり、相互理解は訪れることはないでしょう。
ですが、やはりあらゆるメディアにおいて
『漫才人間』と『役者人間』は両立してないと業界は成り立たないのでありました

岩崎さんはニコ生において「俺こそがこのふたつを両立した稀有な人間だ」と主張してますがどうなんでしょう。




togetterの話にはまだ興味ある話たくさんありますが、あとは岩崎さんと関係ないのでこのあたりは




なんとなくだけれど、岩崎さんは結構こんな感じで教養的な基礎はしっかり持っていて、そういった部分に準拠していろんなことを語ってるような気がすることはある。最近のブロマガ記事は、すごい面白いとかじゃないけどとても堅実な感じで安定期に入ったのかな、とか勝手に思ってます。

もちろん、そんな私の勝手な理解を裏切って今後も急成長していってくださることを期待してます。私の期待が裏切られ続ける限りは購読を続けると思います。

*1:読者のことを無視してあとで自分が読み返すための索引みたいなつもりで書いてるので、読み物としてはツライです。すみません。またいつか別の機会に読み物としてまとめたいです