悪目立ちというのはどれだけ取り繕っても負債でしかない

昨日、駅で選挙演説をやっていた。これに対して、口汚いヤジを飛ばす人がいた。

最初は演説してる人もスルーしてたけど
あまりにうるさかったので、演者も「そこのあなた、周りの人の迷惑になるから黙って下さい」と注意。これに対してそのヤジを飛ばしてた人は「おまえの方がうるさいだろうが!おまえこそ黙れ!」と返してしまった。
その瞬間、今まで迷惑そうにしながらもその人を相手にしないで空気のように扱っていた周囲の雰囲気が「いや、その反論はあかんやろ」といった冷たいものにサッといれかわった。

今まで周りがスルーしているのを良いことに好き勝手にヤジを飛ばしてた空気の読めないオッサンも急激な空気の変化くらいは感じ取れるのか、急にトーンダウンしだした。そして、その人の存在感が薄れたと思ったら、それまで彼の傍若無人を静観していたSPが彼をさっと連れ出してしまった。私は演説自体には興味なかったけど、そのオッサンを嫌悪感を持ちながらずっと眺めていたので、オッサンの一部始終を目撃することになったのだけれど、ざまぁ、SP良い仕事!とか思いつつも、空気の変化こええ・・・という気持ちになった。




私はオッサンのヤジの内容はちゃんと聞いてなかったけど、周りはどう受け止めていたのだろう。多分最初はやかましいと思いながらも賛否両論、という感じで周りがこのオッサンに対してどういう態度を取るべきか決めかねていたのだろう。

それが、うっかりツッコミどころのある発言をしてしまったまさにその一瞬で、このオッサンはいきなり「ダメな奴」の烙印を押されてしまったのだ。オッサンが空気が変わった後でも無理に喋ってたら周りから批判されていたかもしれない。集団の態度って些細なことで、しかも一瞬で強固に固まってしまうのだな、と恐ろしく感じた。


そもそも「あんなに空気読めないようなオッサンでも空気の変化を感じずには居られなかった」
というのが驚きだ。本当に場の雰囲気ってすぐ変わるのだ。 その時、今まで気分良く振舞っていた分のツケが一気に回ってくる。「一般的に不快な振る舞い」であるが、微妙に判断が分かれるような振る舞いをしている人はあるとき急に「痛い目にあう」程度ではすまないことになるかもしれない。「悪名もまた名声」とかのんきなことを言ってないで、転落しないように気をつけた方がよいと思う。




悪名は結局のところ「負債」でしかない。
負債は常に悪いもの、というわけではないのだけれど、それで規模を拡大するばあいよほど上手に管理しないと、どこかで破綻する。マイナス効果(批判者の存在)はつねにつきまとうし、調子に乗って大きなヘマをやらかすと一気にそれまでの取り立てがやってくるような気がする。そして、気づいたら支持してくれる人がいない状態で、ひっそりとどこかに連れ去られてしまうのだとか考えると、考えなしに悪目立ちを目指すのはいかがなものだろうか。



余談。最初は「相手がどんなにクズでも自分が悪いことをしては説得力は減少する」ってタイトルを付けたんだけれども記事を書きながら今日の出来事を思い出してるうちに、怖いのはこっちだなー、と思い直した。