コミュニケーションは他人による「要は、○○なんでしょ」を受け入れるところから始まる?

http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51756044.html

まぁ誤解とまでは言わずとも、思ったとおりにならないというのは
構わないというかそうならざるをえないですよね。
その「期待」だか「盲信」だかは知らないけれど、
それが違っていたら、それを延々と訂正し続けて
自分は本当はこういう人間なんだというイメージに変えていくプロセスが
コミュニケーションなんでしょうかね。セルフプロデュースみたいな。


あるいは、個性そのものが、
相手に影響力を与えるそのベクトルみたいなもんだと考えると、
まず方向がある程度固まらないと影響力を与えるもクソもないよね、と
考えるのであれば自分にもしっくり来る。



だとすると、コミュニケーションにおいて問題が生じやすいのは

1:「訂正」が通じない相手(レッテルが固着してしまう人)と話をする時
2:1の逆で、レッテルがあまりに簡単に変動する相手
3:自分探しの途中で、自分自身が明確なベクトルを持っていない、フラフラしている場合
4:3に類して、いろんなベクトルを志向し過ぎて、それぞれが打ち消し合ってしまう場合
5:適切な言葉が見当たらず、微妙にずれた言葉で自己規定がされている場合
6:ベクトルの線が短すぎて相手から認識できない(能力不足)

などだろうか。

相手にあまり関心を持たれていないと1や2はしょっちゅう起こるだろう。
逆に自分自身に問題がある場合もあるし、
経験や語彙が乏しいと、自分に確信を持つこともできない。
そもそも鍛錬があまりに足りないと認知すらされない。



さらにいえば相性なんかもすごく重要だろう。

7:自分のベクトルが、相手にとって嫌悪スべきものである場合

なんかは絶対うまく行かないだろうし。

さらいいえば、鹿倉胡桃の例のように、単体では今ひとつ個性を発揮しにくく
誰かと絡むことで初めて自分が生きてくるケースなども多いことを考えると
相互作用とかのほうがより重要な気もする。




とりあえず、最初に「要は私ってどういう人だと思われてるのか」
「私は人にまずどう思われたいのか」はもうちょっと考えたほうが良いかもしれない
程度の適当な感想をもってしめておきます。プロフィール欄直さないと・・・。