誰かに対して影響力を発揮しようとするなら、まず自分がしっかりとした思想を持つことが必要

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121030/p2
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121126/p1
ココロコネクトの感想記事。 むちゃくちゃ長いけど面白い。今の私は2回読んでようやくなんとなくわかったような気になった程度の段階だけれど、自分なりに思ったことを書いてみる。

途中は読んでて「あれ?これ俺詰んでね?」みたいな気分になるのだけれども

正しいステップを踏めば、「時」がある限り、必ず人生は自分は変わっていく

という確信(実績?)の上で語られてるのが途中からわかるので、読んでて安心する。



バッサリ刈り取りとってステップに分けるとこんな感じかな。

影響力を行使するには、思想が必要。
思想とは、一貫性のこと。
一貫性とは力の行使によって発生する現実を時系列的に「責任」として自覚して関わること。
責任とは自分の行ったことによって発生した「現実」を受け入れていくこと。
現実を受け入れるとは、自分の直接的でない(=意図さえしていない)出来事にまで責任をとる覚悟を持つこと。全体像やメカニズム自体を覚悟をもって受け入れていくこと
覚悟とは、どこまで自分のコントロールを意識するかという線引きを持つこと。

うーん、余計こんがらがったような気もするけど、ここでいう思想って結局のところ「覚悟があるか。どこまでの範囲に責任を持つ意思があるか」という点を問われる話なんでしょう。

昨日「シアター!」の紹介記事で「大人の経験値」という話を書いたけど、それに該当する感じ。ココロコネクトは、「子供の経験値」「大人の経験値」両方が求められるシチュエーションが多いけれど、厳しい要求してるよなーと思います。


こういう厳しい指摘に対して私は割りと傷つきやすくて、恐怖を感じたりする。 でも、「ロスジェネ心理学」もそうだったように「当事者・経験者として語ってる」という印象があると多少安心して読める。ここが抜けてる話は分析として的確であったとしても読んでてキツイだけに成りがち。 どちらかというと問題を抱えてる当事者じゃなくて問題を傍から見て理解したい人向けになっちゃう気がするけどそういうのではないところがいいです。

なんかねー順番を間違え得ている気がします。相手とちゃんと向き合いたいためには、「事前に」言葉で話そう!とかそういうことでは意味を為さないんだろうと思うんですよ。「相手と本音で向き合った関係性を築く」には、そもそも、ドロドロっに関わりあって時間と空間をゼロ距離で共有していて、初めて「話し始める(=結論が出るかは不明)」ことができるんですよね。そうでないと材料もないし、そもそもお互いが本音んでしゃべることはありえないもん。こういう子は、ずっとつきあつていないと、本質は全然見えない。言葉で本音をしゃべってくれる人ってのは、まずもって皆無だしね。本音は、行動の中にしかない

とかなかなかキツイですけど、まあそうなんだろうな、と。好き嫌いは別として話はちゃんと聞こうという姿勢になります。



余談。
伊織といえば文学少女の竹田さん思い出す。 個人的に期待していたポイントは遠子先輩よりむしろ竹田さんの救済にあったので、そこが完遂せず作品が終わったのは不満ではある。*1 とはいえ、未完の作品というか、アレはアレで自分の中で妄想が膨らむ終わり方でよろしかったも思う。どっちやねん。 まぁ竹田さんについては、うまれつきぶっ壊れてる系だと思うので、文学少女のナラティブ・セラピーとかココロコネクト認知療法みたいなのじゃなくて、西尾維新方式が正しいのかもしれない。

この逆に決断をすませた主人公の選択を描くのがサクラダだよな

元記事のブコメにこういうのを見かけたので、近いうちに絶対読みます。

*1:外伝は読んでない。もしかしたら完遂してるかもしれんけど