「小説家になろう」と箱庭セラピーと孤独のグルメ

何かの物語についてリアリティを体感したいなら、作品の細部にケチつけるより、
自分がその世界に入ったつもりでその体験を綴るのが一番だ

http://live.nicovideo.jp/watch/lv120329264
小説家になろう」についてのラジオ聞いた。
内容のまとめはたぶんkaienさんのブロマガで行われると思うので、
自分が聴きながら思ったことを適当に。



①最初は「なろう=他人の箱庭セラピーの中身が開陳されたもの」であり、それを覗き見するような感覚だというような導入だったので、そういうのを読んで楽しむのはちょっと悪趣味なのではないか*1という印象を受けた。


②ただし、こう感じたのは私自身の箱庭セラピーに対する無理解もあったようで、決して箱庭セラピーで描かれるのは、欲望ダダ漏れの俺SUGEEEE!な話だけではない。むしろ、「物語の中で世界を動かし、世界の側から働きかけることで、錆びついたリアルの自分を刺激し、駆動させる」ようなことを目指している真剣な取り組みであるらしい。 どこぞの人の現実歪曲して俺SUGEEEやってるブログとは大違いなのだと。 これについては、後で何らかの文献を参照したい。



③そもそも「小説家になろう」を箱庭療法的なものとして捉えるのはあくまで一面的な物の見方であり、ミスリード的なものがあるとして早々に軌道修正。むしろ、一定の物語のテンプレが形成され、それによって「これがなければ絶対に小説を書かなかったであろう人」にまで、これなら書けそうだといって物語を執筆させることが大事なのだという。 その作品がまた参照され、他の人の参入を呼び、という形でどんどんと物語の分岐や可能性が試されていく。そうやって面白い作品が出来上がっていくらしい。 こういったものを「神話型創作」と読んでいた。*2

http://ch.nicovideo.jp/article/ar24979

かつて神話や民話が同じキャラクターと設定とを共有しながら、無数の異なる物語を生み出していったことを連想させる。たがいに「関係なき関係」を結びながらはてしなく増殖していくこういった物語を、ここでは仮に「神話型創作」と呼ぶことにしたい。


④「小説家になろう」の構造自体は上記のとおりで、では実際に個別の作品はどのように描かれているかというと、やはり最初は「異世界にいって俺TUEEE」という原初的な欲望であるとか、他の人の作品の不完全な部分、行き詰まった部分の打破などを目指して書き始められるのだという。 自分と同じ習慣
ところが、実際に物語を書き始めてみると、書き始めの段階で世界観の設定が十分に練りこまれていないこともあり、途中で「世界に迷う」らしい。 結果として主人公は、あるいは書き手自身がそこで作品の上の世界から見下ろし管理する神の視点ではなく、作品世界中にいる一人の人間として、等身大で生活する人になってしまうのだという。ニコ生ではこれを「素に戻る瞬間の訪れ」と表現していた



⑤こうなるとあとは「その世界に住んでる一人の人間として、自分が見ることができる狭い視界で、手探りで行動範囲を拡大していく生活」のベタ描写が続くことになる。もちろん必要に応じてイベントを作ることができるから日常よりは動きがあるのだけれど、結局「その人が処理できるキャパシティ以上の物事は起こらない」ということで、主人公の成長をじっくり待ちながら、ソレに合わせて本当にゆっくりとしか物語が進まないことになる。そしてその過程は一切が省略されない。すべての積み上げが詳細に記述されていく。
・・・物語に必要なリアリティというレベルではない。過剰な描写で説得力をもたせるという話でもない。もはや「異世界で生活している」という点を除いては、ただのブログ日記である。生々しいにも程がある。



⑥全然読んでないので推測だけれど、話を聞く限りだと「小説家になろう」で展開されているのは「孤独のグルメ」的なものなのかもしれない。 主人公の性質も、世界の設定も架空だけれども、その組み合わせによって、各人がどういうところに情熱やら感動を感じるかが伝わってくる。 物語というのも、個人が好きな展開(料理)を気の向くままに求めていって、その結果ふらりと辿り着くようなものなのかもしれない。


箱庭セラピーと考えるよりは、日々愚痴りながらもいろんな物を食べていたら知らぬ間にこんなところにたどり着いてましたーって考えたほうが抵抗なく楽しめそうな気がする。というか箱庭セラピーもそういうものなのだろうか。
やはり語りの中に「知らないもの」が混じってるとどうしても話が変な感じになる。




余談。
①ergではむしろ逆のパターンが多い。停滞している日常に異世界や外部から女の子がやって来る、というパターン。まあ「停滞している」といってもすでにフラグ準備中の女の子が山ほどいるんだけどな!日常という強固なバックグラウンドがあり、「日常を侵食する異物」的なものに対してどう接していくか、という観点になりがち。 私はこのパターンの方に慣れ親しんでおり、主人公側が異世界に転生するタイプは実は結構苦手。 「YU-NO」くらいしっかりしたバックグラウンドがあればともかく、「恋姫†無双」やら「織田信奈の野望」あたりは結局途中で挫折してしまった。そういう私でも好きだと思える作品が読めるかどうかに期待です。



②ergだとはっきりと「異世界転生」っていうとニトロプラスくらいじゃないかと思います。ただニトロの場合、プレイヤーと物語の主人公が分離されており、抵抗がないのに対し「なろう」の異世界転生モノは、書き手=主人公なので結構抵抗がある。



③「なろう」に関連して「至道流星」の作品群について語りたいと思ったり。うまく言えないのだけれど「なろう」作品を読んでいて、至道流星作品読んでる時の感触は非常に「小説家になろう」に近いと感じた。しかしこちらは世界というものを完全に把握した上で書かれているし、主人公のスペックも高いため、ものすごく読んでいて安定感がある。サクサク進むしね。 きちんと終わりまでプロットが用意されているらしい、という点も重要。
小説家になろう」にも完結する作品とそうでない作品があるらしいし、

*1:私はゲスなのでそういうの大好きだけど

*2:ニコ生中では「紫色のクオリア」に例えられていた。ループものから「11eyes」みたいなギミックまで自分の理解できるもので把握すれば良いと思う