ドラッカーの説いた学習スタイルの違いを理解し、チューニングをあわせる

物語三昧新年会において、文章の書き方読み方が話題になった時出てきた話です。

最初に知っておくべきことは、読んで理解する人間か、聞いて理解する人間か、ということである。ところが、世のなかには、読んで理解する「読み手」と、聞いて理解する「聞き手」がいるということ、しかも両方である者はほとんどいないということを知らない人が多い。みずからがそのいずれであるかを認識している人はさらに少ない。そして、これを知らないことは大きな弊害をもたらす。

http://stockkabusiki.blog90.fc2.com/blog-entry-1102.html

ちょっと調べてみると、「暗記」に関していえば、五感を使ったほうが定着しやすいという説があるようです。見るだけ、書くだけ、読むだけよりもそれらをミックスして覚えたほうが頭に残る
(中略)
日本人の考えている「勉強」が、世界基準の「勉強」と大きくかけ離れていると述べてありました。記憶重視、成果重視の日本の「勉強」は世界標準から大きく外れている、とのことです。

http://ameblo.jp/bilingual-ny/entry-11275562247.html?frm_src=thumb_module

私は書いて(あるいは音読することで)理解する人間だと自分を認識しています。

私は「聞いて理解する」能力がかなり低い。「読んで理解する」能力も低い。というより、相手の話や文章が脳にすんなり入ってこない。なので、たとえばハックルラジオを聴いたり、アニメを見ていても、いちいち実況のような形で逐一書いて、分解して、構築しなおさないと、何もわかりません。長時間の会議や講演会などでは、自分がこまめに確認したり、メモを取ることが許されないと苦痛で仕方ありません。

会話をしているといつも他の人よりワンテンポ遅れることが悩みだったのですが、情報処理のプロセスが他の人と違うからなのかなな、と思うと何か工夫ができるかもしれないですね。

これに加えて、小説の文体というものも、メロディアスなもの(語ろうとするもののイメージが重要)、リズミカル(音や読感が重要なもの)なものなどあるようです。このあたりの違いを理解して、自分が今どういうものを読もうとしているのか意識して、感覚をチューニングしないと、他の人が読めても自分は読めない、ということになってしまいますね。



自分のタイプをしり、文章(文体)のタイプを知り、その両方を知って、意識してチューニングを合わせる。あまり考えたことがなかったのでとても興味があります。




ちなみに、人の好き嫌いなんかも結構この考えに通じるものがあるかもしれません。 例として二人上げると、

理解することで溝が埋まったと感じるのは海燕さんですね。私は最初海燕さんに対して「チューニングがあってない」状態だったようです。この状態で無理に文章を読もうとすると、ものすごく気に入らないわけです。不快感しか感じない。 でもtwitterでフォローして、実際に会って、この人何がいいたいのだろう、とか考えだすと、少しずつチューニングがあってくるみたいで、最近は気に入らない部分ががあったとしても頭が反応しなくなりました。素直に文章を楽しめていると思います。


逆のパターンもあります。継続的に文章読んで、会話をかわしてもちっとも溝が埋まらなかった誰かさんですね。彼は典型的な視覚重視型のように思われます。彼の文章には論理性や正確さが致命的にかけていたり視野が極端に狭いなど様々な問題がありますが、時々感覚は面白いなと思うことがあります。これは物事を捉える感覚の違いによるものかもしれません*1
共感することというかコミュニケーションを取ること自体完全に諦めましたが、違いがよくわかってくると、いちいち否定したり腹をたてることはなくなった気がします。



こういう感じで他人のインプット・アウトプットのタイプの違いがわかると、人間関係の摩擦も少し減らせるかもしれませんね。

*1:視覚重視型の人がみんな論理性欠けているという意味ではないです。誤解のないようお願いします