自分なりの文脈を持つと、それがアンテナとして機能する

http://d.hatena.ne.jp/TM2502/20121227/1356578488
にも関連する話です。

文脈と言うのは曖昧な言葉ですが、ここでは今までの経験と自分の興味や好みの方向性・バイアスを合わせたようなものだと考えています。

今まで重なった経験(遍歴)や偏りを背景にして、自分の物事の受け止め方、扱い方が決まると考えると、文脈は個性のもとになるもの、と考えられそうですね。個性とか自分らしさを考えるなら、まず自分の文脈を理解せよ、という感じで。

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2012/12/27/002804



という感じで、自分なりの文脈を理解しておくと、


・棚卸をしたり、意識的に方向チェンジして
 組み換えを行なっていくことができるようになる。
 自分というものをある程度把握してコントロールできる。


・他人の文脈との違いを意識・理解できるようになる。
 必要があればそれをインストールすることができる
 (もちろん無差別に取り入れるのと
  自分本来の文脈がなくなってしまうので要注意)



というメリットがありそうです。
自分が把握できるもの、コントロールデキルものと
そうでないものの区別が付くようになると
人間関係でも余計な衝突や苦労をせずに済みそうですね。



物語三昧新年会ではもう少し話が進みました。

文脈や個性と遍歴・好き嫌いは微妙に違うのだ、と。
文脈は問題意識のようなものとセットである。
文脈が問題になるのは、他人と衝突したり何らか自分が壁や変化の時点ににぶち当たる時である。自分の中で何らか壁や変化みたいなものがあってそれを意識した時に自分が使いうる道具がリストアップされてくる、そういうのが文脈なのだ、と。

自分の文脈を意識して、それが説明できるという事自体、なんらかの課題や問題意識を持っているということになりそうです。

さらに、この意味での文脈を普段から意識しておくとそれがアンテナのように機能して、自分が求めているものが現れたらキャッチしてくれるし、同じようなアンテナを立てている人との通信ができる、ということのようです。



よーするに、文脈を持とうとか意識しようというのは、普段から課題や乗り越えるべき壁のようなものを持てということであり、能動的に生きようぜ!ってことなのではないかと。



うーん、アンテナが立ってる人っていますけど、こういう仕組みなのかなーと思って興味深く話を聞かせてもらいました。ブログでの情報発信はある程度無意識にでも積み重ねていけばアンテナになってくれるのはないかと期待していますが、その上で自分も意識していきたいところです。