ハックルさんの文章のどこが面白いか

A:読者置き去りにしてずんずん我が道を進んでいく感じ。
  読んでると読み始めた地点では想像もしないに到達してたり
  いつの間にか置き去りになってる感がくせになります。



http://ch.nicovideo.jp/article/ar28477  
この文章にハックル成分をほんのり感じた。 せっかくなので脳内のハックルさんと比較すると、海燕さんの文章のほうが丁寧で好感を持てる。 ただし、もしこれをハックル的な文章として読むならば、少し物足りなさを感じたりもする。もちろん文章の性質自体が違うので、比較すること自体意味が無いとはよくわかっている。 それはわかった上で、この文章をきっかけにして、ハックルさんの文章について自分がどういうふうに感じているか書いてみる。



たとえばこういう記述がある。

①それでは、どうすればそういうひとたちも友達を作ることができるのか。
②ここでぼくはまず「逆に考えるんだ」と提案したい。
③「友達なんていなくてもいい」と考えてみるのだ。

私の脳内のハックルさんだと真ん中の文章が変わる。提案したい、とか言わない。②の部分が「ここで僕は逆に考える」・・・でもない*1「友達ができないという人は考え方が間違っているのだ」と書いて「彼らはこう感じているのだが、実際は〜〜〜だ」と続けそうな気がする。



これは文章の良し悪しの話ではなく性格の違いの話だと思う。

ハックルさんは、自分の考えが正しいことを確信している。彼の今のアイデンティティは世の真理を一般大衆に伝えるシャーマン的存在なので、主語は常に「社会」や「人類普遍の真理」である。迷いは存在しない。個別の人に対する慈悲もない。ただ真理だからそう伝えているのである。 だから自分が語る事以外の考えを持つ人の事は考慮しない。そういう人間の意見に価値を置かない。なぜなら間違っているからだ。 
そういう前提のため、ハックルさんは自分の考えだけをストレートに表現する。自分が語ろうとしている地点まで脇目もふらずにずんずん進んでいく。読者が置き去りになろうが知ったことではない。ついてこれるやつだけが読者なのであり、ついてこれない奴や、まして理解できないからといって彼の記事をつまらないという奴は全て「ゆとり教育の被害者」である。憐れむことはあってもそれは自分の文章の読者ではないと、文章中では切り捨てている。 後ろにいる人間のことを考慮しないので、最短の理路で自分の直感した結論まで到達する。相手に論理の飛躍の許容を要求する代わりに、その間を自分で埋めて登ってこれるやつなら高いところから見れる景色を味あわせてやる、という感じだ。

ちなみに、ハックルさんについていった所で、必ずしも正しい場所に到達するかどうかはわからない。あくまで「ハックルさんが考えた真実」が見えるだけである。だけれども、文章を読んでて感じるずんずん突き進んでいく感覚は、未体験の人なら一度は味わっておくべきだ。

まぁはてな時代で十分堪能しました、という人が多いだろうけれども、昔のように釣り狙いのぼけた発言やキャラ個性の押し売は影を潜めており、寄り道なしで結論まで進むので、読みやすさは断然あがっている。ここらの違いを確認してみるのもありかと。 はてな時代のハックルさんを楽しみたい人は毎週やってるニコ生の方でどうぞ。こっちははてな時代から何も変わってないです

*2

あと、ハックルさんの文章は上記のような仕組みのため、読む人によっては常に上から目線であったり、かつ攻撃的に感じれる。人間こういう文章を読むと疲れるし、文章から人間味が伝わりにくく共感しにくいため、気持ちよくはない。 1日2000〜3000字程度なのに「もうそれで十分、之以上いらない」という気持を味わえる。それでも、面白い。反発したりツッコミを入れながらよむ元気がある人にはオススメ。




一方海燕さんの文章だと、世の中にはいろんな考え方を持つ人がいることは認めている。だからいろいろと批判はしつつもできるだけそういう人についても納得を重視して丁寧に説明する。読者と一緒に結論まで行こうとする。読者を導こうとする、できるだけ一緒に読者と進もうとする。 ヒントを出したり考えるための間を取ったりいたれりつくせりな感じがする。非常に読みやすいし納得度も高い。厳しいことを言うことはあってもどこかに配慮を感じる。人間味があってこちらのほうが好ましい。距離がすごく近く感じます。

こちらのブロマガでは文章の更新頻度が高く、1にちにすごい文量が届くことがありますがこっちの文章はいくら読んでも疲れません。むしろもっともっと読みたいとおもうくらい。こっちはとにかくうんうん頷きながら次から次から読んでいくのがいい感じです。



自分のイメージとしてはこんなかんじです。まず読ませること、読者に合わせることを至上命題としており、読みやすさに気を使わなければいけないのがラノベ作家。読むこと自体は強制できるが中身がダメだとボコボコにサれるのが教師。読ませる文章を書き、かつつまらないとボコボコにされるのが小説家だとします。すると今のところそれぞれ海燕さんがラノベ作家、ハックルさんが教師としてプロフェッショナルな雰囲気。例えとして適切だとは到底思えないですがあくまで私のイメージですので「お前の中ではry」と思ってください。そういえばブロマガに小説書いてる人っているんでしょうか?是非読んでみたい。



※余談ながら、基本的に私は「ハックルベリーに会いに行く」の著者のことを岩崎夏海さんと呼ぶことにしてるけれど、この記事はみなさんおなじみの「ハックルさん」で統一しました

*1:彼の最近の文章では「僕はこう思う」という書き方もなくなっている。理由は後述

*2:そういえば私とIDが似てる人がハックルさんをやたらと意識していらっしゃたりするわけだが、全く似ても似つかないです。彼の文章は寄り道ばかりで異常に読みにくく、読んだあとも何が言いたかったのかわからない事が多い。何か新しい景色が見えるわけでもない。表面的なところだけ真似して「ハックルからノウハウを学んだ」とか薄っぺらいことを言うのはかんべんしていただきたい。この点に関してはウォッチャー以上に見る目がないと言わざるをえない