AKBが明確に顧客第一主義を否定している件について
今回丸刈りにした女の子が理不尽に耐えた(あるいは自らすすんで理不尽な行為を行った)のはなぜか。ファンを失うのが怖いから、という要素は殆ど無いような気がする。そこが本当に大事なら多分そもそも今回のような件を起こさないだろう。本人の発言にもあるように、AKBというシステムのなかにいつづけたいというその部分が大きかったのではないか。
完全に依存症といってよいレベルだと思う。
顧客第一じゃない。システムや自分の欲望のほうがよほど大事
今回の騒動で一番面白かったのは、アレが事務所の意向であろうが本人の意志だろうがそこはどうでもよくて、彼らにとって大事なのは「恋愛」とか「内輪の規則」とか「横との競争」であって、客であるファンではなかったってことですね。言っちゃ何だけど「AKBオタざまぁ」って気分になりました。
アイドルの視線は直接客に向いてる訳じゃなかった。ファンの応援したいという気持やいろんな欲望は受け止めてやる。でもそれだけで、応えはしない。それを一番大事なものだとは扱わない。 彼女たちの一番大きな関心は、自分たちの恋愛とか野望とか、他のメンバーより抜きん出ることとかだった。そんな風に感じました。
これが実際テレビのバラエティ番組とかラノベとかアニメみたいに客に目線がバッチリいってるコンテンツが多いジャンルばかり見てると、ものすごく新鮮に感じるんですね。 オタクコンテンツの中では最近観た戦国コレクションも異色な感じだったけどそれと似てる印象。
自分たちが作りたいものややりたいことを詰め込んだ感があって、それが逆に魅力的に見えたように見えます。こういう作品があとから評価されたあたりを見ても、客を見過ぎてないで自由にやった作品が逆に評価されてきてるような気がします。
そう考えると、オタクの客にとってAKBが魅力的に見えるのは、オタクに媚びているからではなく、本質的にはオタクの客の方向を向いてないからじゃないかな。
AKBがやってることって、誰よりもAKBにあこがれて、AKBが好きで好きでしょうがないって子が実際にAKBのメンバーになってAKBの一員でいるのが楽しいです!って騒いでるだけ、みたいな印象があるんですよね。 でもそれがなんだかめちゃくちゃ楽しそうに見える。 「お客様のために何かするのが幸せなんです」みたいなおためごかしがなくて「私は憧れのAKBのメンバーになりました。すごく嬉しいです。今度はさらにトップを目指して頑張ってます」って彼女たちが目をキラキラさせてる。
自分が属しているプラットフォームをでかくして、その中で自分の地位を上げれば幸せになれる、っていう極めてシンプルな行動原理。その単純明快な図式が良いって思う人が多いのじゃないかな。
*1
AKBのシステムというのは「内側にいる人にとっては」死ぬほど魅力的なんだろう。
具体的にどういう仕組なのかってのは自分で言語化できなかったのだけれど、
そこは店長が一晩でやってくれました。
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/01/31/111555
強すぎるモチベーションをどう管理するか、ということになってくるんだと思うんですが、そこはそれ、よくできてるわけです。CSとESの話でいうと、現に働いているアイドルの女の子たちですか、その人たちがやりがいを持って働けるようにちゃんとシステムを作っている。
とりあえず「アイドルです」っていうゲタ履かせて強引に付加価値をつけてしまうのはうまい手です。どんなんでもとりあえずアイドルですから、一般人とのあいだに距離ができます。これが付加価値そのものですけど、その付加価値を逆手に取って「アイドル扱い」をファンからさせることによって自覚を植え付ける。そしてそれがそのままで働く人の報酬になる。なんとすばらしいシステムか
これ、ニコニコが今次のステップとして目指してるやつやん。
そう、ブロマガだ。
唯一違うのはここだけ。 監禁・・・じゃなくて換金システム。*2
しかもそれを換金するシステムもばっちりだ
みんな、自らの高いモチベーションを受け止めそれに報いる仕組みを切望してる
なるほどなのだわ。
今までの日本の大企業型の働き方が限界だーみたいな論調は多い。
「ソニーはもうだめだ今一番希望があるのはニコニコだ」みたいな記事に人が群がるのは、実はわからんことはない。
私は限界だとは全く思ってない。それはテレビや新聞がなくならないのと同じだ。今迄みたいにそれだけですべてはまかなえない、影響力は全盛期よりは衰える。しかし重要であることは変わらない。だが、そこで生きていける人は減っていくし、新しい時代の花形とはならないだろう。
だけれども、若い人たちが既存の産業や働き方に対して、格好悪いというか少なくともそこに未来を感じないってのはなんとなくわかる。
かといって、ノマドやら起業やら言える人がそんなにいるわけじゃない。そうやって自らの道を自分で切り開いて自らを食わせていける人はそもそもそんなに悩まない。
では、既存の働き方を嫌悪しながらも、
今示されている新しい働き方に自分が選べる選択肢がないことに苦しんでいる人、
古い働き方、新しい働き方、どっちの道でもこの先生きのこる自信がない人はどうするか。
そういう人たちはなぜかニコニコを賛美し、ニコニコに期待する。
彼らは「俺たちやる気はあるんだ。俺たちのやる気を評価して、それで食っていける可能性を提示してくれよ」って言ってるのではないか。
「俺はまだ本気出してないだけ」を通り越して「本気出しても損なだけ」な現状
みんな思い思いに本気出そうとしてるけど、求めることに夢中すぎて、周りの人が何を求めているのか理解してあわせる余裕がないから空回りしてるんだ。こっち方向は中二病とかうつ病まっしぐらコースだね。
あるいは逆に、周りの欲求に敏感すぎて、自らを偽っててでもキャラを作り、演じ、周りの求めにこたえようとしすぎてしまう。これはこれでつらいことになる。やはりうつ病まっしぐら。
どっちも選ばない・選べない人もいる。空回りしてる人を嘲笑ったり、暴走した人に待ったをかけたりしている。
みんな、生きのこりたい。そのうえで、できれば「自分らしく」生きたい。
自分らしく、とは自分が一番モチベーションを発揮できる状態のことだ。
モチベーションがわくことだけして食っていきたい、そう思っている。
ゆとりとか個性重視とか批判もされるだろうけれど、
もう今更こういう欲求を持ってしまったのをあきらめることは難しい。
ただし、ノマドにも起業家にもなれないひとが
こういう生き方を実現するには冒頭で述べたように、「自らの高いモチベーションを受け止めそれに報いる仕組み」を誰かが用意してくれることが必要だ。
それを、ごく限られた人間にだけ実現しているのが、AKBのシステムなわけだ。
あるいは韓国のスター界みたいなところもあてはまるかもしれないが、
私が知る限り、韓国の方は普通の人間がどうにかなる人間ではない。
AKBのシステムというのは、多くの人にとって確かに魅力的に映るだろう。
もちろん、今回の件でその幻想がどこまで揺らぐかはわからないが。
AKBファンはどんな夢をAKBに見いだしているのだろうか
思えば日本という国は昔からこういう夢(平等に機会があるという幻想)を作り出すのがうまかったかもしれない。
ちょっと前までは選ばれたものでなくても、貧乏人でも努力して大学にいけば良い企業に入れる、そして立派に生きていけるという幻想があった。
その前には、坂の上の雲的な話もあった。
士農工商という絶対的な身分制度があった江戸時代でさえ、もしかしてそういう話があったかもしれない。
さらにさかのぼれば、みんな大好き戦国時代だ。太閤立志伝だ。
日本人は、昔からそういうお話が好きなのかもしれない。
時代ごとに必要とされる夢がある 今後求められる夢とはAKBに連なる何かかもしれない
もちろん、すべては幻想であるのだが、そういうのを求めずにはいられない国民性であり、だからこそほかの国では考えられないほど「アイドル」というものが盛んなのだと考えると、面白いな、と思う。
まとめっぽいもの
AKBは「現世に局所的に戦国時代の幻想を、太閤立志伝のドラマをよみがえらせる」ことによってエンタメを実現した劇場だと考えるようになりました。*3 課金することによって自分で情勢を動かせる戦国ドラマのミニチュア版。AKBに課金している人たちは「桶狭間戦記」における商人たちのように目がギラついてるかもしれません。まぁ応援した武将が勝ったところで自分への見返りは満足感だけってのが戦国時代の商人とは全く違うわけですが。
最初は見世物として単純に面白い話だったように思います。ただ、あまりにビッグになりすぎたせいか、もともとシステム的にバグってたのか、だんだんショウが過激になり、バトルロワイヤルを高みの見物する「シークレットゲーム」だとか「リアルタイムでいともかんたんにおこなわれるえげつない蠱毒」的なものになっているのかもしれません。少なくとも今このシステムはカルトというか、マルキチ量産システムになりかかっています。
もうちょっと現実的な路線で、多くの人に希望を与えるシステムは生み出せないものでしょうか。それは、まどマギやらまおゆうが挑戦したテーマでもありますね。うまくいったかどうかは知らん。今後は、ソシャゲとかニコニコに期待するべきなのか。他の可能性を考えるべきなのか。それも私にはよくわからん。
とにかくAKBについては少し考え方が変わりました。システムは研究する価値あるかも(真似はダメ!絶対!) *4