ある種の人にとって体罰が救いになるという話

戯言なので結論だけ先に書いておきます

体罰は相互理解の断念である。だが、それが救いになる人もいる」


私は子供の頃こういう事がありました。みなさんはどうでしょう。



父親と言い合いになります。

子供は親に自分の視点から感じたこと考えたことを受け止めてほしいと思ってぶつけます。肯定してほしいというわけではなく(いや、できれば肯定して欲しいのですがそれは絶対ではなく)それ以上に「どうだ、自分はこんなすごいこと考えたぞ」って自慢したいわけです。*1

一方父親は、本当は、親は子供の言っていることは理解できるのですが、そのうえで何歩も進んだ視点からそれは違うよ、と否定します。

しかし子供である私には親が自分の大事な意見を蔑ろにしているように感じられます。あげく、自分の理解できぬ理屈で否定してくるのですから混乱してしまいます。

こうなると、子供だって、自分が間違っているかもしれないとは感じても、間違っていると認められません。だってもともとは父親への自慢だったわけです。ハイハイを見せたらほめられるのと同じような感覚で、賞賛の声を期待していたのに、実際にかえってきたのは冷淡な否定の声です。どうしてこうなった。
自分が間違っているという結論に到達するための道筋が示されず、ただいきなり間違いであるという結論だけを押し付けられる。こんなの絶対おかしいよ。たとえ相手が正しくても納得出来ない。 


間違いは間違いでも、自分が一生懸命考えたことを頭ごなしに否定されるというのは子供心にはなかなか認めにくいものです。

せめて「なるほど一生懸命考えたんだね。エライね。でもよく考えてこらん?こう考えてみた時はどう? こういう時はどう?」という感じで、自分の努力を認めてもらった上で、間違いというゴールまで導いてもらえないと間違いを認めることすらできないわけです。


かくして子供は自分の意見に固執します。自分は間違ってない。負けてないと言い張って父親に困らせるのです。本当は、ただ父親に褒めてもらいたかっただけなのに、そうしてくれない父親に腹を立てて頑なになってしまうのです。話を逸らしたり、お父さんはなんにもわかってないとか、とにかく負けを認めないためならなんでもします。ひたすら逃げまわりながら相手にうんこを投げつけるような展開になります。


そして、あるタイミングでいい加減にしろ、と怒鳴られ、殴られます。
すると、この時にすっと負けを認めるわけです。この時子供はこう考えています。

よし、父さんは僕を言い負かした訳じゃなくて、力づくでいうことを聞かせたんだ。父さんが正しい訳じゃない。僕が正しかったんだ。父さんは僕を言い負かすことができなくて手をあげたんだから僕の勝ちだ

子供である上に、頭に血がのぼってますから本来の目的なんかとっくに忘れてます。結果として、自分が正しかった、という本来の目的と全く違うものを掴んで終わりです。


そうやって「大人はわかっちゃくれない」「大人は何もわかってない」そんなふうにネジ曲がった形で自分の自尊心を高めようとしてしまうのです。本当は、ただ父親に褒めてもらいたかっただけなのに。 仲良くしたかったはずの父親とは仲が悪くなり、話が噛み合わなくなり、信頼関係が築けないまま毎回ケンカをして、殴られて黙らされる。そんな歪んだ形でコミュニケーション欲と自尊心を満足させるというのが習慣になっていく。



そんな時期が、私にも有ったことを思い出しました。



私の場合は小学校4年くらいまでそんな感じでした。それから3年ほど父が単身赴任で家を離れ、戻ってきた頃にはいがみ合いする雰囲気はなくなっていました。さらに他にも中学の頃いろいろあって、父親とは協力する必要が出てきてからからは、父親との関係ではあまり問題が起こらなくなっていました。



とはいえ、今そうじゃないからといって、子供の頃に

まず自分の意見を受け止めてもらって
正しい正しくないにかかわらず褒めてもらって、
その後、自分視点で丁寧に自分の間違いを説明してもらわなければ
自分が間違っていることを受け入れることさえできない、
どうしようもなく幼稚で、かつ愛情に植えている時期

というのが確かにあったことは事実です。そのことをすっかり忘れていました。*2



私は幸いにしてこういう状態から抜け出せたのですが、とはいえ、大学を卒業して社会人になってもこういう状態から抜け出せていない人もいるでしょう。そのことを最近知りました。



そういう人にとって、体罰というのは救いでもあるのです。
歪んだ形で自尊心を満たせるという意味で。受け入れられない意見でも、体罰と一緒なら受け入れられます。
「自分が間違ってるわけじゃない。世の中や周りのオッサンが間違ってるんだ。
 自分はただ力で押さえつけられているだけだ。いつか自分が力を得たら・・・」
という言い訳ができるからです。

そして、自分がそういう体罰を言い訳にしてきた人は、他の子供もそういう風にしないと人の話を受け止められないと思っているのです。だから

「コミュニケーションは、要らない。
 子供は殴らないということをきかない。
 むしろ殴っていうことをきかせるのは、子供の自尊心を守る上でも正しい」

という立場になってしまうわけです。なぜなら自分がそうだったから。



自分の意見に反対する人がいた時に、自分の意見が間違っているかも?という考えが微塵も怒らず、みんなアンチだ、自分に嫉妬しているんだ、と思ってしまう人は、きっと話が通じない人は殴ってでもいうことを聞かせるべきだと考えてしまうのでしょう。




意図的に単純化しましたが、実際はこんなにわかりやすい話ではないです。
体罰以外に子供とのコミュニケーションの選択肢や可能性を
多く理解していれば、こういう短絡的な発想にはなりませんし、
親子関係が歪んでいても、他の友達との人間関係で歪みが癒されることもあるでしょう。

ただ、体罰は「あなたのためを思って」「教育効果が高い」みたいなことをいう人は
全員頭を丸めて出家したほうがいいと思います。すでに坊主の人は無罪。





追記
多分この問題も同じカテゴリ。
http://togetter.com/li/455830
http://togetter.com/li/456858

永久機関さんは、要するに「ぼくが一生懸命考えたことを頭ごなしに否定しないでよ」と言いたいだけなのじゃないかな。得たい反応が得られないから子供のように駄々をこねてるだけだと思いたい。できることなら周りの人が優しく接してあげればよいのかもしれないけれど、本当にフォローしようもないし、ガツンと叩き潰すしかないどうしようもないアイデアというのもあるよね。 

知財相談で一番困るのがエネルギー保存の法則を無視した永久機関の発明で、自分で全く実験をしないで大発明だと思い込む相談者です

特に、アイデアは思いついたが、自分でコミットするつもりは全くない、検証もろくにしていない(というかするつもりもない)というたぐいの話。 そういう話はマクドでやれば、隣で聞いてたヒトが脳内で女子高生に変換した上でtwitterで拡散してくれるので、これからはマクドでやることをおすすめする。

*1:攻殻機動隊2話のような構図です

*2:同様に、恋愛過程にある男女が、相手からのまともなアドバイスすら受け入れられずバカに見えるという現象も、愛情不安みたいなのがあるからじゃないでしょうか。まぁ長年夫婦やってて「女は話を聞いて欲しいだけ、アドバイスは不要」とか言ってるなら別れたらいいと思う