自称クズと無敵系クズは紙一重というか表裏一体

ヒモ島先輩が英詞の曲を熱唱している横で、大村先輩は新曲の薄いパンフを見ながらため息をついた。
「いよいよ音楽で飯が食えない時代が来たよな。もっとも、ドラマとかとのタイアップ効果でヒットさせてたマーケティング手法が息づまるのはわかってたんだけどさ」

「そうですよね」

どこまで的を射ているのか不明だが、反駁できるようなソースもないので、全面的に同意しておくことにする。おそらく、大村先輩の方も、僕が反撃してこないのがわかっているからこんなことを言ってきているはずで、その関係を悪化させるメリットは双方共にない。

「ほら、大垣典文も言ってるでしょ、カリスマが死んだ時代だって」

きっと評論家か何かの名前らしいが、とくに評論業界に興味がないので誰かわからない。でも、ここで「大垣って誰ですか?」と聞くと、多分大村先輩は二度とこっちに話をふれなくなってしまうので、そこは知ったかぶりでカバーするのだ。

何であれ文句をつけるのが大村先輩のスタンスだということは、今では僕も了解している
大村先輩は例会にはあまり顔を出すタイプではない。たまには出てくるのだが、会長・長月さん・勝原さん・中道さんあたりが醸し出す女子会的なムードの中で明らかに息苦しそうにしていた。ヒモ島先輩はジョーカーのような存在なのでどんな人種を相手にしてもうまく立ち回れるのだが、大村先輩の方は不器用な、自分と同じタイプの人間としか仲良くできないタイプだ。高校時代の自分をむすっとした顔にさせて、知識量を三倍に、ついでに体重も一・五倍にすればほぼ大村先輩と等しくなる。

最初のうちは、この大男の先輩の知識量に舌を巻いたものだった。政治・経済・文化(サブカルチャー含む)の多方面にわたって博識であり、その舌鋒も快刀乱麻の趣があった。どれだけ多くの典籍にあたれば、これほどの情報を入手できるのかと不思議に思ったほどだ。こっちは文系なのに、哲学者の話についていけなかったのははっきりいって恥ずかしかった。帰宅後、ウィキペディアクリプキについて調べた。
だが、一流レストランの料理も一週間通えば飽きるものである・・・という言い回しはよく見るが、そもそも一流レストランに一週間通う人間などいるのだろうか。ただのバカじゃないのか。おっと、話がそれた。
大村先輩の話は一言でいうと、ワイドショーの立ち位置と同じなのだ。遠く離れた安全な場所から石を投げているだけなのだ。石というのがミソで、基本的に何かをけなしているのだ。もちろんこの世の中にはおかしいものも間違っているものも腐るほどあり、そういったものは糺されなければいけない。「和をもって貴しとなす」と言った聖徳太子は、一方で古代の大改革者でもあった。現状をほめるだけでは何も変わらないこともある。でも、すべてが悪いものばかりだったら、この世はもっと生きにくい。なんだかんだでいいところもあるから、それは続いているのではないか。そんな疑問が胸に湧くようになり、そして、先輩が言いたい放題言えるのは、先輩がしょせん工学部の一学生にすぎないからだということに気が付いた。

守るものがないから、失うものがないから、この人は好き勝手言えるのだ。

それって格好悪い事と紙一重じゃないのか。そう感じてしまい、言葉が心に響かなくなり始めている。

そういえば、大村先輩の進路はどうなっているのだろう。いつも政治・経済・文化について何時間も語っているはずなのに、進路については聞いた覚えがない。これが中学生の時なら「将来何になるんだよ」と気楽に聞けるのだが、大学生になるとそういうわけにもいかなくなる。とくに四回生にまでなると「お前の人生はどうなるの?」と言っているようなものだからだ。そんなことを聞く勇気はない。

「だからさ、今の政治家は統計学を本当に理解していないんだよ。統計を無視しているわけじゃない。統計学の基礎がないから、統計を誤読するんだ。最初が間違っているからむちゃくちゃな政策が実行に移されるわけ。そのコストは国民にのしかかるわけだ」

やはり、大村先輩は苦言を呈していた。文句言いめ。麻雀で毎回自分の初手が悪いと嘆く手合いがいるけれど、ああいうのに近い。確率論的には公平なんだから我慢しろよ。そこまであがれないなら、お前の手作りに問題があるんだよ、というやつだ。
でも、この統計云々の話は正しいことを言っている気がする。自分も納得してしまうようなことで文句を言うわけにもいかないだろう。もうちょっとなんとでもいえるような意見が来てくれないだろうか
(中略)
あれ。まさか、話題がこのサークルになるとは予想していなかった。
いったい、なんのことを言っているのだろう。どう考えても穏やかではなかった。遠くに石を投げているのではなくて、すぐ近くに石を投げてどうする。その石は先輩だけでなく、こっちにもあたる。そして、石をあてられたこっちは怒る権利がある
あいまいな正義はいつしか苛烈な正義に変貌していた。僕はこの人に文句を言う権利ができた。もはや、これは他人事ではなくなったのだ。

「黙れよ、六回生が!」

ヒモ島セナぴがキレていた。

「自立できていないのはまさにお前だろうが。ぬるぬると既得権益にしがみついて社会に出るのを先送りしやがって。みんな、裏でどれだけしんどい思いしてたか、お前にはわからないんだろ!そりゃ、俺だってまともに組織を動かしたことはないさ。なくても裏方の苦労くらい想像できるんだよ。お前には、想像力ってもんがないんだ。自分で何かをやった経験がないせいだよ!」

ヒモ島先輩は、烈火のように大村先輩を怒鳴りつけていた。
ひどい修羅場になるぞ、僕はどうしよう、どうしようと心の方だけ右往左往して、足が地面に固定されていた。批判好きの大村先輩はきっとそれらしい反論をするだろう。そうしたら、さらにヒモ島先輩はキレる。それらしいことを言う態度に先輩はキレているのだから。これは宗教戦争のような終わりない戦いになる。
だが―――。

「それは認めるしかない」
あっさりと大村先輩は敗北を認めた。
けれども、謝罪で熱が収まることはなかった。むしろ、逆効果だった。

「そんなに偉そうに言うなら、お前が何かを変えてみろよ。お前の正しさを証明して見せろよ。話はそれからだ!」

「いや、俺の話なんてどこかで仕入れたものだし、もっと偉い人間がちゃんと発信してる…」

じゃあ、お前は自分でも大したことないと思っていた話を俺にずっとしてたってわけだな。お前、それがどれだけ俺たちに失礼だかわかってんの?何、何なの?俺たちへの嫌がらせ?お前にそんなことされるようなことしたっけ?」

これは公開処刑だ。そういって差し支えないイベントが目の前で起きていた。
お前の言ってることは間違っている。お前の言ってることには信念も何もないーーー。そのことが白日の下にさらされたのだ。

「ごめん……」
「もう、いいよ、大村」

ヒモ島先輩はやることはやったという顔になり、自転車にまたがった。え?ここで僕だけ取り残されるのはあまりにもひどい。箱舟に僕も乗せてくれ。

「あの、変な言い方かもしれませんが、ありがとうございます。僕もああいったことを言おうと思ってたんです。あんな威力はなかったでしょうけど」

「お前は後輩なんだから、そこまでしてやる義理はないけどな。」

つまり、あくまではあれはヒモ島先輩なりの義理であり、誠意であったわけだ。それはなんとなくわかっていた。

「もちろん、ウザいならお前も言ってやればいい。ああいう無敵の場所にいるヤツは直接攻撃しかない。あれで理解できないほどバカなら一言も口をきくな。バカがうつる
「ああいうタイプの人がネット言論とかで発言してるんですかね」
「違うよ。大村みたいなのは匿名の場所ですら何も言わん。人間ってのは知識だけが先行すると、どんどん自信を失っていくんだ。世の中にはすごい奴が腐るほどいるってことと、自分がしょぼくて、どうしようもない人間だってことがわかってくるからな」

結果、誰も傷つかないシャドーボクシングを大村先輩は何ラウンドも続けることになった。試合が終わっても、観客がみんな帰っても、会場のライトが消えても、彼は虚空を殴る。たとえ疲労で倒れても、何かを殴る夢を見る

「あいつがどうしようもないバカなら、一生吠えてればいいんだ。だけどな、頭だけはいい人間が社会のどこにも関わらないのはその時点で社会悪なんだよ。だから、俺はムカついたし、キたんだ」