ヤンデレ

「他の人がどんなにクソだと言おうとも、私はこの作品肯定する。
 否定する人をみかけると、オマエは何もわかってない、と発狂して
 理由にならない理由で殴りに行く。
 作品を肯定するために作品が邪魔なら作品自体を嘘解釈でぶっ壊しても構わない。
 もはや作品を肯定することそのものが目的で、作品の中身はどうでもいい」

というくらいの気概で肯定したいと胸はっていえる作品は殆ど無いけれど
「インテリぶる推理少女」は自分にとってそんな作品になる気がする。


5段階評価だと「作品評価2、主観評価5」という感じ。
他人にはおすすめする気には全くならないけど、
多分このあと10回くらい引用すると思います。
とにかく自分はこれ好き。大好き。



ネタバレ防止というつもりはないですが、
中身は大して重要ではないので説明しません。
とにかく、ヒロインの主人公に対する偏愛ぶりが素晴らしい。

偏愛を描くとはこういうものではないと駄目だと思う。
レイプ目とか物理的な脅威でヤンデレを描けると思ってちゃだめだよ。
愛は思い込みです。思い込みにはちゃんと理屈が無いと行けません。
そして、その理屈は共有可能なものであってはいけません。
共有可能な理屈だと他の人もその人を愛することが出来てしまう。

言語化可能であるけれど、自分だけがそれを持つことができる
約束された勝利の剣。それを持つものだけがヤンデレを名乗る資格がある。
他の女との恋に破れてヤンデレとか、負け犬臭くてやってられません。
ヤンデレが破れていいのは、己の恋心だけです。
そもそも勝利など必要ないのです。必要なのは相手からの承認それのみです。



そう考えるとヤンデレというカテゴライズそのものが不自然なのです。
ヤンデレと名乗る資格がある高度な偏愛は、
もはやヤンデレというカテゴライズが不可能なオンリーワンの存在なのです。
ヤンデレをくくることは原理的に不可能なのです。
ヤンデレという言葉自体が、意味を成さないのです。




その他の「絶対肯定対象」作品の例。 他にもあるけどまたべつの機会に。


「私の目的が相手からの勝利ではなく相手からの承認であることに気がつけなかったために○○○は負けたのです」

炎上ブロガーがいいそうな言葉ですが、
実際炎上ブロガーはこの少女と同じように異常偏愛者でしょう。
どっちも好きな私は何かを偏愛している人が好きなのかもしれません。

他にも読み終わった後に唖然とさせられたり、大爆笑させられたり、トラウマを植え付けられて二三日寝こむみたいな体験を与えてくれる作品は、大好きです。「なるたる」はよかった。すごく良かった。他にも「スゴ本」ブログがオススメしてくれる劇毒小説とか大好物です。