成り上がり目指す人が突然うつを訴えて精神科医のお世話になる現象について

http://d.hatena.ne.jp/TM2502/20130426/1366990476
「自己評価はたかければいいとういものではない」の続き。



その逆の考えとして
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-1894.html

自尊心欲求は低次元の本能的欲求にふくめるべきだろう。

成功哲学自己啓発などはまさに自己愛や自己肯定を強める側面をもつのではないのか。

NPI(自己愛人格目録)という質問表があって、これってまさに成功哲学が成功するために自己暗示をかける項目だらけである。これって病的とみなされるのか。

たとえば、こんなふうにならぶ。

私は、他人よりはもっと有能だと思う
もし私がこの世を支配するとしたら、もっとよいところになると思う。
私は、自分がよいリーダーだと思っている。
私は、人とは違う特別な人間だと思う。
私は、偉大な人間になるつもりだ。
私は、どちらかというと人の先頭に立ちたいほうだ。
私は、注目の的でありたいと思う。


精神医学の本ではこのような項目に当る人は病的になるのかもしれないけど、成功哲学ではまさしくこれこそ自己暗示をかけて成功にみちびく言葉になるものである。「ところ変わればなんとやら〜」といわれるけど、一方は病気のレッテルを貼り、一方ではほしくてたまらないもの。

過剰が問題なのか。欠如が問題なのか。たいていの人は欠如が問題ではないのか。過剰な人がそんなにいるだろうか。


成功哲学系にかぶれた人は、
ある日疲れて軽い気持ちで精神科医の門を叩くと
唐突に自分を全否定されるとかあるのだろうか。
実際はプロフェッショナルだから上手に導くのだろうけれど
いずれにしても「それは病気であり、改めるべき」という話になるのだろうか。


私の場合はむしろ自己評価がめちゃくちゃ低かったのと
どちらかというと身体的な症状が大きかったのか
この点ではあんまり否定的なことは言われなかったけれども。