「何か」と戦い続ける人へ

友人に状況を打ち明けた。プロジェクトを中止する気持ちはほぼ固まっていたが、最後に「もう中止すればいいじゃないか」という一言を誰かの口から聞きたかったのだ。

しかし友人から返ってきたのは「ただ戦い続けろ」という言葉だった。

「いや、僕はもう戦いたくないんだ!」と内心で叫んだが、友人の手前、あと1日だけ頑張ろうと決めた。その1日が終わると、あともう1日だけ頑張ろうと考えなおした。そういう日々の繰り返しだった。
供給業者、提携相手、デザイナー、郵便局、保険会社と戦った。戦い続けるうちに戦い方が上達した。そしてどうにか製造ラインが流れ始めた。

http://netconcierge.jp/blog/2013/04/ecflint-and-tinder.html

自分は理屈として正しいことを言っているのに、その場の雰囲気や大衆の扇動勝負に負けて、自分の意見が支持されない、そういう口惜しい経験は誰でもあると思う。俺もそういうのは好きではない。というより非常に問題だと思っている。口の旨さやキャラクターや知名度で、聴衆を扇動した人間の勝ち、という社会ってすごく怖いよね。時代が時代なら負けた方は火あぶりにされちゃう。で、この問題はストレートに扱うしかないと思うのだよね。ところが彼はそこがなんか変。あるときは、聴衆の扇動勝負で過去に負けたので、一生懸命「扇動する側」になろうとしているように見えることがある。扇動勝負に負けそうになると、あれこれ他の理由をくっつけて批判する。またあるときはサンドバッグ発言みたいに強がってみせたりする。いくら扇動された大衆が襲いかかってきても平気だぞ、と。
(中略)
扇動に反発してこの生き方を始めたんじゃないの?ミイラ取りがミイラを目指すの?

http://mechag.asks.jp/547510.html

「戦う」選択をしている点は声援を送りたいのだが、「敵」はとてつもなく手強いよ、と。もっともっと戦略を練らないと、と。今の段階だとまだビギナーコースに1週間通ったぐらい

http://mechag.asks.jp/547510.html

私のTM2501さんに対する意識もほとんどこれと同じ

いまとなってはごちゃごちゃいうつもりはない。 私が指摘したいのは2点だけ。
いつものごとく余計なお世話だと言われるかもしれないが、
もうすぐ終わりだから許してほしい。 




①何と戦ってるのかを明確に自覚しよう、そして上手に戦おう

ひとり立ち出来るまでははてなで戦い抜いてみせるよ。1記事1000はてブor購読者300人or一月3000はてブor累積10000はてブor150購読者orフォロワー5000人(のうちどれか1つ)までは僕は独自ドメインを作ってはてなを出ていく気もブログをやめる気もありません。
(中略)
才能なんかない!続けることこそが才能だ。

うん、それ違う。そもそも何と、戦うの? その目標数値どういう意味があるの?それ明確にしない限り、常に戦うのは自分の脳が生み出す自分の影じゃないの? おわらないシャドウボクシングじゃない?

「戦い方がへたくそだ」とか「まずもうちょっと戦闘レベルを上げよう」という以前の問題として、自分が戦おうとしているものを理解して、それに対して敬意を払って、よく理解して、きちんと戦ってほしいなと思います。
 






②自分の言葉に、少なくとも自分は責任持てるようになろう
 この際、自分の言葉に影響をうけた他人の責任をとれなんて言わない。そんな高いレベルは求めない。ただ、自分の発した言葉を数日後には裏切った発言を無自覚にやってしまうことだけはやめよう。そのために「自分の発言を自分でちゃんと理解出来る程度の論理思考力」は身につけよう。 普通の神経の持ち主なら、いじめや差別を批判するなら、生活保護体罰に関する例の記事は恥ずかしくて書けないはずだ。「自分が批判しているものに自分自身がなっているのはまずいよ」ということを自覚すらできてないのは本当にまずい。それだけは、絶対に直したほうがいいと思います。

彼に一番足りないのは自分の心や思考の分析

http://mechag.asks.jp/547510.html

トンデモさんは自分に当てはまる言葉で他人を批判する。他者理解を志さない批判は自分のスキーマさらし

http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20120816/p1


この2点だけである。これだけは、伝わるといいなぁ。

私は彼の事を若いくせに生意気だとは思っていない。そんなに年変わらんし。
彼の生き方を否定したいとも思っていない。生き方は自由だ。頑張って欲しい




で、最後に伝えたいことではないけれど、ひとりごと。

下手に変化球に頼らずに、直球で問題提起する方が、俺は好感が持てるな