本場の貧乏人のアルデンテ

明日から仕事をするので、仕事に関する話をちょっとだけ。

「ふ〜ん、これが理想的なアルデンテね ……」
「「本場」イタリアのアルデンテです」
「確かに 本場だな。しかも本場の貧乏人のアルデンテだ」
「貧乏人?」
「どうもあんた、アルデンテを誤解してないか?
 スパゲッティは茹でたパスタにソースを和える簡単な料理だ」
 パスタの茹で上がりに僅かに芯を残すのは
 ソースを和えて軽く火を通す間に丁度芯が消えるよう計算するからなんだ。
 ところが あんたのパスタは客の前に出された時点でまだ芯が残ってる」

 確かに"アルデンテ"は"歯ごたえがある"という意味だが
 流石にここまで固いのは貧乏人料理だ
 固茹でだと噛む回数が多くなり、少量のパスタでも満足を得られる
 俺もナポリの場末で自分の腕で食えなかった頃、この悲しい知恵の世話になったよ」

王様の仕立て屋 8巻 order47 柔軟の聖地)

ある料理家志望人がイタリアに貧乏旅行に行って、誰かの紹介でもなんでもなく、ただたまたま行き着いた場末の店でイタリア料理を食べた。それは、彼が今まで食べたことのない味だった。
さて、それがたまたま本当に隠れた名店で、パスタやアルデンテの真髄を教えてくれる可能性がない、とは言えない。だが、それは「本場ではあるが貧乏人のアルデンテ」でしかないかもしれない。


それを確かめず、一軒目で「これこそが本場のアルデンテだ。これこそが正解だ」と決めてしまい、それをもとに「本場のアルデンテ」の看板をかかげて店をオープンしたらどうなるだろうか。おそらく本場の人をリスペクトしてやっているはずが、肝心のその本場の人から「まずい」「こんなのはアルデンテではない」と言われてしまうだろう。

彼の「本場のものを取り入れよう」「本物に学ぼう」という志は間違っていない。しかし、他を試したり、じっくり腰を据えて学ぶということを怠っていると、自分自身が「貧乏人のアルデンテ」になってしまう可能性があるのだ。



たまたま入った企業につとめて、それがいかに激務であったり学びが多い職場であっても、半年とか1年間踏ん張っただけで、人生の真理や商売の極意を手に入れられるだろうか。そんな深いところまで洞察ができるだろうか。経営者の視点や怖さを体験できるだろうか。その経験をもとに、他人に人生指南を行えるレベルの知恵を持つことができるか。

もしかしたら可能かもしれない。でも、もしかしたらそれは「極意ではあるがブラック企業のアルデンテ」でしかないかもしれない。それをもとに人を導くのは少し怖い。




アウトプットは大事。
でもアウトプットするものは固定せず、あるレベルで満足してしまうことなく、
インプットも継続して行うことでバージョンアップしていきたいと思います