私が好きな文章の書き方

プレゼンテーションって大事だな、という話。




この3つは「権力の掌握」というテーマで、
ほとんど同じことを微妙に違う視点から語っています。

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/1342 (メカニズム分析型)

http://ch.nicovideo.jp/article/ar9258 (ストーリ説明型)

http://ch.nicovideo.jp/article/ar13442 (基礎知識の概観型)

http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20100729#p1 (事例紹介→著者の主張へ誘導型)

ですが、好き嫌いというのはあって、私は上から順番に好きです。




もう一つ。「なぜ人はニセ科学を信じるのか」というテーマについて

http://ch.nicovideo.jp/article/ar12068 
 (そもそも信じるとは何か?という概念的・中小的なところから「べき」論へ)

http://ch.nicovideo.jp/article/ar11248 
 (コホート分析。「信じる人」の特徴を見てそこから共通点を抽出する。
  精神科医が好きそうな論法。藁人形論法のリスク有)

正直どちらもあまり好きではないけれど、あえていえば抽象論のほうが好き。





好き嫌いなので理由は感情的なものです。説明できなくはないですが、私の個人的な感情の解説されても面白く無いだろうからこれはこういうもんだ、と思っていただければ。

それにしてもみなさん論理的に文章を書ける方々ばかりですが、それが同じテーマを扱っていても、アプローチによって印象というのは大きく変わるものですね。それが面白いです。

書き手としては、テーマが同じであろうが、アプローチの仕方や興味のあり方が違うなら、どんどん自分の意見を書いていって良いと思います。また、読み手としては一人の文章を読んで理解できなかったり納得できなくても、他の人の文章を読んでみるとすんなり入ることもあるので、一人の文章だけを読んでそのテーマについて早急な結論を持たないほうが良いかも知れません。


文法がろくにできてない上に、感情的で論理の欠けた文章を書き散らした挙句、「論理的に文章を書こうとすると文章は似たり寄ったりになってつまらなくなる。感情の発露が大事だから俺は文章を推敲しない」とか主張することはもちろん可能です。ですが、論理的に文章を書いても個性は当然発揮されます。一方論理的でない文章を書くと、それはただの変な文章であり、個性もクソも読者に伝わらないような気がします。 論理的な文章を書く手間を惜しむあまりに「強い感情さえあれば論理など不要」みたいな事を言っていると、多分論理的かつ文章に感情をコメられる人に駆逐されてしまい、その人はネタ芸人的にしか生きていくことができなくなるのでしょう。良い物を持っているのにもったいない。

文章書くのは簡単なようで難しい・・・。




【蛇足】私が読み手として未熟だという話

実を言うと、私は2番めの岩崎さんの記事は、最初見た時今ひとつそのすごさがわからなかった。「ふーん」というか「これなにが言いたいんだろう」ってのがピンとコなかった。 今日medtoolzさんの記事を読んで初めて、おお、なるほど、あの記事はそういうことだったのか・・・と理解できた。 でも、これ単体で読んでびびっと来る人ってどのくらいいるんだろう。


先日「ディズニーの3つの弱点」という記事も読みましたが、最初は何が言いたいのかよくわからなくて、今週のニコ生を見てから「ああ、これって大ヒットしたコンテンツやサービスの評判というかロイヤリティをどう維持していくかって話なのか=つまりもしドラブランドの変遷を見てきた岩崎さんならではのブランド論なんだ」ということがようやくわかって、またビックリ。



kawangoさんがハックルさんすごく面白いっていつも言ってるけれど、今の私では解説がないと一発で理解できないよー(;_;)


私は毎日岩崎さんの記事読んで感想など書いてますが、おそらく現時点だとほとんどが的はずれなんだろうなと思ってます。まぁでも、やっぱり彼の文章の何が面白いのかは理解したいと思うので、あとで恥をかくとわかっていてもとりあえずめげずに彼の文章と格闘を続けたいと思います。 でも誰か解説してくれる人がいると嬉しいなぁ。あるいは購読者の中で「この記事ってどういうことだと思う?」みたいに話し合えるスペースがあるといいのだけれど。ブロマガってそういうのできませんかね・・・