「自分をオタクだと思ってるヤンキー」「リア充になりたいオタク」

が最近可視化されているらしいのですが(ほんとに?)、これは今まで全く共通点がないと思われていたオタクとヤンキーが接近しつつあるからだ、というような話があってオモシロイと思いました
http://live.nicovideo.jp/watch/lv110072709
http://news.nicovideo.jp/watch/nw458905



http://kawango.hatenablog.com/entry/2012/07/02/231841

おたく文化の昨今の興隆には、ヤンキーたちにもジブリ、ワンピース、モンハンに代表されるおたく文化の一部が浸透してきている点と、ネットを介した新しい世代間交流の仕組みが存在している点は非常に重要であり注目に値するだろう。余談になるが、ぼくはこれらのことから今後の若い世代のオタクがリア充化することは歴史的な必然であり、避けられないと思っている。日本の文化のメインストーリムの担い手が若い世代の感覚をネットを通じて吸収しはじめているからだ

同じ仲間というテーマについて、ヤンキー文化の「ワンピース」とオタク文化の「あの花」との対称性が興味深い


ただ、両者が接近しつつあるという考えを支持するとして、
それでも自分が本質的にどちら側であるかという認識は必要だと思います。

これを間違えると、「コミュニケーション力の正体」と「頭の良さの正体」の両方を考えなしに同時に追い求める結果として、どっちも得られないまま中途半端なオバカさんで終わり、その「駆り立てる野心と欲望」もはてなウォッチャーという「横たわる犬と豚」に食わせるエサにしかならない。

誰とは言いませんがこの非情な現実を身を持って実証してくれている人がいます。*1
そういう人を反面教師として、自分はしっかりと生存戦略をたてたいところです。




http://news.nicovideo.jp/watch/nw461174

リア充がオタク化するのか、オタクがリア充化するのか。
そして、自分はどちらを重点的に実現することを望んでいるのか。
そこらの目的というか自分自身への理解は重要なんだと思います。




余談だけど、どっか人が書いた、「右翼と読んだらさすがに右翼の人がかわいそう」な残念な記事を読んで「ネトウヨは、右翼というよりは日本特有のヤンキー文化の延長として考えるべきでは?右翼として評価しようとするのがそもそも間違いなのでは?」という気がしました。
そもそもの話をするなら、ネットで「真正なる右翼」って呼べるような人ってどういう人なんだ、というのをまず知りたいところ。 右とか左とか翼を生やす以前の問題の人の発言に、やれネトウヨだはてサヨだと言った所で得るものは何もないような気がします。 私は右翼も左翼も、その本物を知らない無知な人間です。

*1:個人的な偏見だと、彼はただのDQNであり、ヤンキーカーストの下の方の人なんですが、オタクという別の立場で一発逆転を目指してるって感じに見えます。本質的にはヤンキー側に属していた人間としてオタクを見下していて、オタク界隈でならトップを目指せると思ってるんでしょうが、こっちはこっちで別のカーストがあるのだってことをまだ受け入れられていないようです。元ヤンキーとして、どんなことがあってもオタクとして見下している人に馬鹿にされることが耐えられない、という感じでしょうか