なぜイケダハヤトさんの名前はカタカナなの?

僕は池田勇人元首相と同姓同名なんです。そのままの名前だと、検索エンジンで絶対勝てないので、あえてカタカナにしています。池田勇人首相といえば、「所得倍層計画」ですが、奇しくも同姓同名の僕は「所得半分でも楽しく生きられるよ」と説いているわけです。

http://blogos.com/article/51009/

うわなにこれうざっ!


みんなイケダハヤトについて論じてはいますが、なんというか容赦なくというか愛がない感じですね。それなりに親しみを感じるのってやまもといちろうさんくらいではないでしょうか。単に間違ってる点を淡々と事務的に指摘するというか、異物を排除する感覚というか、親しみを全く感じない文章が多いです。批判する人たちには「こいつとは何一つ通じ通わせたい点がない」といわんばかりにひたすらに冷たい。このあたり岩崎さんについて言及していた過去のはてなの記事とは全く温度や雰囲気や手触りが違う。あらためて岩崎さんというのは稀有な才能の持ち主であったのだなと感じます。

ちきりんとか池田信夫とかと同じで、はてなーが好むタイプの人なんだろうと思う。イケダハヤトって人がどうすごいのかよく知らないけれど

そうかなー。私ははてなのみんなも多分イケダハヤトさんのことはあんまり好きじゃないと思うよ。他の人って憎まれ口叩きながらも悔しいけど一目置かざるをえないよねビクビク的なところあるけどイケダハヤトさんに対する反応にはそういうの感じない。イケダハヤトさんが次の日からいなくなっても誰も困らないだろうし、いなくなったあとイケダハヤトさんについて懐かしむ声みたいなのも多分はてなでは聞こえないと思う。


うまく言語化できないんだけど、ハックルさんとか池田信夫さんとかちきりんさんとか海燕さんとか村上隆さんとかshi3zさんとか東浩紀さんとか自称青二才の人とかそういう人たちが大好きで、ずっと見ている私でも、「この人はなんか違う」「あんまり見てても美味しくなさそう」って感じがあるんですよね。ちきりんさんとか池田信夫さんとか佐々木俊尚さんとかハックルさんにあるものをイケダハヤトさんには感じない。ソレが何かはわからないけど抽象的な言葉で言うなら「期待感」がない。見ててもちっともワクワクしない。



だから私が論じるとどうしてもその時の気分で無責任な発言しかできないです。基本的に私はこの人とチャンネル合わないのだと思います。イケダハヤトさんのtwitterも見ましたが、しばらくしてウザッって思ってリムーブしてしまったので本格的に相性合わない感じ。「何か大事なものが欠けてる」感というか隔靴掻痒感みたいなのはあるんですが、それがなんだかわかりません。



http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20130127/p3

普通は、ある程度トンチンカンなことをいう人でも「ああ、この勘違いとかこのロジックを直せばわかってもらえそう」という糸口みたいなものが見えるものなんですよ。でも、あまりに浅薄すぎるとそういう思いも沸かないし、なにしろ批判するとシャットアウトです。それでいて生活できるほどに影響力があるというのがその怒りを更に増幅するわけですね。言い方悪いけど、これって実はイケダハヤト師の話を肯定的に受け止めるバカに対する苛立ちでもあるんだろうと。ポジティブ教によるお馬鹿な思考の拡大再生産は反原発脳(まともなのもあるけどここではトンデモさんたち)と同様の臭気を感じる
(中略)
中途半端なエントリーほどほどよく燃え上がるものはないんですよね。極論だけど中途半端。これ最強。



蛇足
ちなみに私が自分とID似てる人に苛立ってしまうのは、前にも書きましたが彼の言動や思想がいちいち数年前の私といろいろと似ており、それが自分がやらかした黒歴史をそっくりそのままほじくり返されているようで恥ずかしいやらもどかしいやら耐えがたいからです。立花ちゃんを見る元DFMの心情です。もしかして、そういうところもあるのかなーと思ったり思わなかったり。自分の未熟な頃をどや顔で再演されるのを見るって、悶えるくらい恥ずかしいですよね。