虫が人を見る目線

http://ch.nicovideo.jp/article/ar96862

ぼくは、まず最初に自分を虫けらだと任じた。そのうえで、自分というものを殺して生きるようになった。
それは、ある種の悟りを開いたような感覚だった。その時点では、自分はずいぶん高いところまできたものだという実感があった。「自分もとうとうここまでの心境に至ることができたのだ」と、ある種の到達感のようなものさえあった

感情で目が曇らない人間には恐怖を感じる。

一般には他人の心を推し量るには豊かな感情が必要だ。相手の感情に深く共感することができてこそ、その心の動きを想像し把握できるのだと思う。

だけどこの人の場合は全く逆なのではないか。彼が嘘を見破れるのはそれを熟知しているから。なまじ相手に共感しないからこそ目が曇ることもない。きっと彼は誰にも共感しない。誰とも心を通わせない。

そう…すべてはまやかしだ。あのさわやかな笑顔も、常に生徒たちへの慈愛と配慮を忘れない言動も
悪の教典


もっとも岩崎さんに関しては、そのあとの文章で、虫の視点を得たというのはあくまで自分の評価であり、実際にはそれほど徹底して人を離れたわけではないことを明らかにしている。

その観察力において、時々虫のような気持ち悪さを感じることはあるものの概ね人間ぽい部分があり、特に警戒はしてない。むしろ虫の視線というのは非常に面白いものだと思っている。

その上で人に対して感情や共感を一切持ち得ないその視線が、自分に関することだけはめちゃくちゃ感情豊かというギャップは楽しい。楽しい

ぶっちゃけると、岩崎さんが獲得したと自称する視点は、「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」と同じ系統のものだ。つまり良い感じでルサンチマンと自己卑下が均衡を取って安定した状態であり、作家向きだとは思うけれど、宗教家的な透徹した視点とは程遠いと思っているので、上の文章はギャグ的に読んでいる。