キチガイっぽい文章の書き方の教科書

こっちを出版すればよかったのに。





http://togetter.com/li/360296

具体的にもなにも、あなたがひどいと思ったところ全てがわざとです。でも、面白い質問ですね。普通の人は、文章を読んで「これはひどい文章だ」との印象は受けることができても、具体的にどこが変かはなかなか具体的に認知できない。

以下のツイートで文章が変に見える理由を概説します。

まず、上手いというわけではないが、普通に文章を書くと、例えば以下になる。

「普通の文章だって書こうと思ったら書けるのです」

これをキチガイバージョンに改変していく。

まず日本語には、主語を省略する美学がある。だから、入ってるとかっこ悪く思われる。しかも「ぼく」という一人称は、自己陶酔型の人間に見えるの、ますますおかしく見える。なので、「ぼく」という一人称を足す。すると以下になる。

「ぼくだって普通の文章だって書こうと思ったら書けるのです」

さらにそこに、被害者意識を感じている人間や、ちょっといじけたキャラを足す。例えて言うなら、親に怒られた子供のような感じ。それには、虚勢を張らせる。そこで、「本当は」という言葉を足す。と、以下のようになる。

「ぼくだって本当は普通の文章だって書こうと思ったら書けるのです」

現時点でも、「だって」を繰り返してるけど、この繰り返しも頭が悪く見えるコツ。だからこれは活かす。さらに、言葉を子供っぽくする。ボキャ貧を装う。「普通」というのを「まとも」に変える。

「ぼくだって本当はまともの文章だって書こうと思ったら書けるのです」

今の置き換えで「まとも」の後の助詞の使い方が微妙に間違うようになった。でもこれも活かす。助詞の間違いは頭が悪そうに見える。さらに、後半の文の文体をまるごと変える。文体の不統一も、頭が悪そうなうえにキチガイにも見える。

「ぼくだって本当はまともの文章だって書こうと思ったら、やってできないことはない」

こんなところかな。これ以上やると、今度は意味が分からなくなる。意味は伝わった方がいい。意味はギリギリ伝わるのに文は変だと、下手とかキチガイと思ってもらえる。 実はぼくみたいに頭が悪そうなキチガイ文章って、ものすごく文章について熟知してなければ書けないのよね。あと、文のリズムを整えるとなおいいかもね。文のリズムを整えると悪文にはならない。悪文は読みづらい。下手でも読みやすい文章はリズムがいい。

「ぼくだって本当はまともの文章だって書こうと思ったら思ったで、やってできないことはない」

こういうことを瞬間的に判断しながら書いてると、時々おれって天才と、客観的に思ってしまうのよね。