他人を批判するときに多用する言葉が自分のコンプレックスなのかも

自分のコンプレックスってあんまり自覚できないものなのだと思う。
自覚できて、とりあえずの対応が出来るものは、深刻ではないが
いつまでも自覚できず、明確に表現できないものは問題だって岡田斗司夫さんが言ってた。


で、少なくともそういうコンプレックスの一つにようやくいきあたったというか、
なんで自分はこの人が気になるんだろう、ってことにとりあえず答えが出た気がする。
だいぶスッキリした。

なんかこの人に構う人って同じ系統だよなーと思うんだがそれを言語化できないもどかしさがあるのよなー。おせっかい?世話焼き?うーむ

http://b.hatena.ne.jp/feita/20130213#bookmark-132318058

feita氏のコメントがちょっと気になってた。


で、考えてみたら他の人がどうかは知らないけれど、少なくとも自分に関しては
自分が反応する原因が「過去の自分の未熟さ・黒歴史に対するコンプレックス」
であることは間違いない。
じゃあ嫌悪の対象となってる「過去の自分の悪い点」ってなんだろう。


みたいなことを考えたせいかどうかわからないけれど、最近こういう記事を書いた。
自分の「理解力」が極端に低くて生きるのしんどかった時の自分語り。
http://d.hatena.ne.jp/TM2502/20130322/1363915924



この記事について共感するようなコメントをもらった。

私は「他人の言ったことをどう認知するかが凄まじくいい加減である」のです。個人的には過去のエントリで書いたように「想像力の問題」だと思っていたんですが、今ハッキリと「それ以前の問題だった」


他にもこんな記事を読んだ。
http://chnpk.hatenablog.com/entry/20090922/1253629853

絵を描けない人や、文章を書けない人、なに言ってるかわからない人には、共通点があるように思った。それは端的に言えば、ものごとを正確に理解しようという意識が弱いということ。対象を正確に把握しないままに、それを絵に描いたり、文章にしたり、喋ったりするから、相手に上手に伝わらないのだ。

で、なんかこの辺りが自分のコンプレックスになってたんだな、と。
だからアレの人に対していらだちを感じ続けてたんだな、と
このあたりがようやく自覚出来るようになってきた。





というあたりでここからまた意味もなく長い自分語りなので
興味ない人はブラウザのタブを閉じてください。




私はすげえ適当人間だった気がします。

正確に物事を捉えるよりは、適当に取り組んでから、いきあたりばったりで対応していくほうが好みだったし、今でも基本的にはそういうのが好みなんだと思います。

ところが、今までのところは周囲の環境が、自分が適当人間であることを許してくれなかった(と、思い込んでいます)。

適当に振舞ってると親から友だちから部活仲間からみんなで寄ってたかって
左右からボッコボコに殴りつけて自分を「修正」しようとしてくれたわけです。
で、まぁめでたく私は「修正」を受け入れて「ある程度まとも」になることができた。



致命的な失敗を起こすことは減ったし、まともなフリはできるようになった。
そこそこは周囲に「適応」できる技術は身についたと思う。
その過程で鬱になったりとかいろいろあったけど、経験は身を助けるでなんとかかんとか社会の隅っこで生きていくくらいならできそうだ。
今は他の人が授けてくれた「まとも」を受け入れてはいる。
そうやって「間違った自分」を「まとも」にしてくれた人たちに対して感謝もしている。



でも、修正したところで、所詮「ある程度」でしかない。「普通以下」です。
劣等感みたいな気持はずっと持ってるし、自分がちょっとミスをしたら過去をほじくり出されて「所詮修正したところで駄目なやつは駄目か」と攻撃されるのではないかと怯えている。
で、間違いを恐れて回避的・消極的になる。



本当に、本当によくあるありふれた、ちっぽけな悩みだと思います。
いわゆる「優等生キャラ」というやつです。類型化まで可能なレベルの平凡な悩み。
まぁ優等生キャラといっても能力的には普通なんだけど。
せめて本当の優等生であれば開き直ることもできたんでしょうがそれもできず。
「優等生にもなれないが、普通にもなれない」あたりでウジウジして
まともに自己主張の一つもできない。われながらつまんねー。



こうした状態について、
普段は意識してないけれどやっぱりストレスは感じてるのだと思います。
生きていくための必要コストとして受け入れてはいるけれど完全に割りきってはいない。
ストレスは日々蓄積されていくし、日々不安に悩まされて頭痛がする。



で、ここいらのストレスは誰にぶつけるか。
自分に自信がなく、自己表現の技術にも劣る自分が誰に怒りをぶつけられるのか。
「劣等感を開放しても大丈夫そうな相手」として誰を選ぶのか。



そりゃ、自分より劣ってる人以外にない。他の人に反撃するの怖いやん?
だから

  • 「読解力が適当」
  • 「オタでも経済学でも全てにおいて知識が適当」
  • 「文章力は適当」
  • 「人生そのものが適当」

こんな感じの人を見つけて、自分の劣等感をぶつけてしまう。

  • 「なんでこんなに適当な文章を書いて平気なのか」
  • 「なんでこんなに適当な理解力で失礼だと思わないのか」
  • 「なんでこんなに適当な知識で口を開くのか、黙ってろ」
  • 「なんでこんなに適当な生き方でこの先も大丈夫だと思えるのか」


よく考えて見れば全部自分が他人から言われた事じゃん?
それを、よりによって自分よりダメで、援助が必要な人にぶつけるってダメじゃん?
虐待された親が、子供に同じ虐待を繰り返すってこれと似てるのかな、と思う。
できることなら、自覚してブレーキをかけなければいけない。



でもそこまでわかったところで次はどうすればいいんだろう。
イライラする原因が自分だってのはなんとなくわかった。
自分がこういう劣等感抱えてて、それがトラブルを起こすところまではわかった。
じゃ、次は何をどうすればいいんですかね。